■ 無機化・無感動への抵抗 by T ― 2019/03/14
唐突だが、死ぬということは有機物から無機物に分解されていくことである。
現代は便利な時代になって、人間はいろいろな機械やテクノロジーに頼りながら生活している。人間の身体にさえ人工臓器が組み込まれたり、最近はAI(人工頭脳)が人間の知的活動をも担う時代に移行しつつある。
このままどんどん人間の活動つまり生きることの一部が次々と機械やテクノロジーに取って代わられていくならば、最終的に何が人間の生として残るのだろうか?動くこと、考えること、心臓を動かすことさえ機械やテクノロジーに委ねられていくと人間として何が残るのか?つまり人間を定義づける核は何なのか?
一方で、機械やテクノロジーの進歩によって人間の寿命は伸びてきている。しかし人間の生命活動が有機物としての人間活動そのものから無機物の機械作動にシフトし、生命活動における無機的機械の占める割合が増加していくとすれば、それは本当に自分の生命を生きていることになるのだろうか?
もしかしたら将来、機械やテクノロジーの進化によって人間は永遠の生つまり不死を手に入れるかもしれない。でもそれは有機物としての永遠の生ではなく、無機物としての永遠の死なのかもしれない。
現実には人間は確実に死ぬ。確実に無機化する。しかしそれでも苦労して成長しようと努力し苦労して生きようとする。苦労や努力は死によって灰に帰することは誰もが分かっている。しかし最後まで死に抵抗する。カミュの言葉を借りれば「死と決して和解することなく死ぬ。」そんな不条理な生を何故生きるのか?あなたは何故生きるのか?
僕は自分が本当に生きているのか否か、その証拠や手応えを確認したくて生きているのかもしれない。死ぬ直前になって本当に自分が生きていたのか怪しいなと、そんな後悔を決してしたくないと思って生きているのかもしれない。歩いたり、走ったり、坂道を上ったり、薪割りしたり、土を耕したり、自転車で遠くへ出かけたり・・心拍数を上下させ筋肉に負荷をかけ汗をかき痛みを感じたりすることはストレートに生きている手応えとなる。また知恵を絞り学習したりすることによって困難を克服できたり現実を受け入れたり感動したりすることも生きている充実感となる。
・
・
と、まあ小難しく考えているわけではありませんが、食器洗浄機、電気ポット、電気炊飯器、エスカレーター、ロボット掃除機、コーヒーメーカー、カーナビなどなど便利で楽チンな機械をなるべく使わず、自転車、斧、薪ストーブ、紙の手帳、コーヒーミル、そして自分の手足といったシンプルで原始的な道具を使って暮らす方が、お腹が減って喉が渇いて美味しく食事ができ、そして満腹になって「生きてて良かった!」と感じながら安眠できそうなので、僕は極力そうしてます。
それに薪ストーブを見てると美しい!と感じるけれど、サーモスタットエアコンを眺めてても感動しないしね。
現代は便利な時代になって、人間はいろいろな機械やテクノロジーに頼りながら生活している。人間の身体にさえ人工臓器が組み込まれたり、最近はAI(人工頭脳)が人間の知的活動をも担う時代に移行しつつある。
このままどんどん人間の活動つまり生きることの一部が次々と機械やテクノロジーに取って代わられていくならば、最終的に何が人間の生として残るのだろうか?動くこと、考えること、心臓を動かすことさえ機械やテクノロジーに委ねられていくと人間として何が残るのか?つまり人間を定義づける核は何なのか?
一方で、機械やテクノロジーの進歩によって人間の寿命は伸びてきている。しかし人間の生命活動が有機物としての人間活動そのものから無機物の機械作動にシフトし、生命活動における無機的機械の占める割合が増加していくとすれば、それは本当に自分の生命を生きていることになるのだろうか?
もしかしたら将来、機械やテクノロジーの進化によって人間は永遠の生つまり不死を手に入れるかもしれない。でもそれは有機物としての永遠の生ではなく、無機物としての永遠の死なのかもしれない。
現実には人間は確実に死ぬ。確実に無機化する。しかしそれでも苦労して成長しようと努力し苦労して生きようとする。苦労や努力は死によって灰に帰することは誰もが分かっている。しかし最後まで死に抵抗する。カミュの言葉を借りれば「死と決して和解することなく死ぬ。」そんな不条理な生を何故生きるのか?あなたは何故生きるのか?
僕は自分が本当に生きているのか否か、その証拠や手応えを確認したくて生きているのかもしれない。死ぬ直前になって本当に自分が生きていたのか怪しいなと、そんな後悔を決してしたくないと思って生きているのかもしれない。歩いたり、走ったり、坂道を上ったり、薪割りしたり、土を耕したり、自転車で遠くへ出かけたり・・心拍数を上下させ筋肉に負荷をかけ汗をかき痛みを感じたりすることはストレートに生きている手応えとなる。また知恵を絞り学習したりすることによって困難を克服できたり現実を受け入れたり感動したりすることも生きている充実感となる。
・
・
と、まあ小難しく考えているわけではありませんが、食器洗浄機、電気ポット、電気炊飯器、エスカレーター、ロボット掃除機、コーヒーメーカー、カーナビなどなど便利で楽チンな機械をなるべく使わず、自転車、斧、薪ストーブ、紙の手帳、コーヒーミル、そして自分の手足といったシンプルで原始的な道具を使って暮らす方が、お腹が減って喉が渇いて美味しく食事ができ、そして満腹になって「生きてて良かった!」と感じながら安眠できそうなので、僕は極力そうしてます。
それに薪ストーブを見てると美しい!と感じるけれど、サーモスタットエアコンを眺めてても感動しないしね。