One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ ペットに尊厳はあるのか by T2020/05/26

鶏とミミズ
突然ですが、ペット(愛玩動物)を飼う人間の心理をもっと知りたいと思う。善悪判断ではない。あくまでもただ心理をもっと知りたいのだ。

「どうしてペットを飼うことが可能なのか?」という問いである。
「どうしてペットを飼うのか?」ではない。「どうしてペットを飼うことができるのか?」という問いである。

可愛いから、癒されるから、防犯上役立つから、動物に優しい人と思われたいから・・このような答えは、どうしてペットを飼うのか?という問いに対する答えだ。

知りたいのは、「どうしてペットを飼うことができるのか?」に対する答えである。

少し違った問いをしよう。
「ところで、ペットはモノなのか?それとも尊厳ある存在なのか?」

ペットはモノであり道具のような手段である、と明言する人がペットを飼う場合、この場合僕は理解しやすい。利用目的があるから、手段道具としてペットを飼い、一方ペットの方も身の安全と養いを保証してもらう共依存関係だと認識すれば理解できる。とても分かりやすい。それなら僕もモノとしてのペットを飼うことが可能である。

しかし、ペットはモノでない、尊厳ある存在だと明言する人の場合は、とても分かりにくくなる。ペットが勝手に自由意志で住み着いたのか?ペットの意志を確認できたのか?もしも自分がペットの立場だとしたら、売り買いされて勝手に何処かの家で生活を余儀なくされて、食わしてもらって撫で回されて、それで一生を終えるとしたら・・。それでも自分は幸せと感じる、いわばヒモみたいな人がペットを飼うなら理解できないわけでもない。でも僕はそんなヒモ人生を送りたくないので、自分がされたくないことを尊厳ある存在としてのペットに強制することは、道徳上不可能ということになる。

そんなことを考えながらの草取り中、土の中からミミズが出てきた。このミミズの方が、形はヒモのようだけど、確固とした尊厳ある自由な存在に見えてしまうのだが・・。