One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ リモートな時代だからこそ by T2020/12/05

白侘助

かけ離れた、間接的な、遠隔の、そんなリモートの時代だからこそ、リアルな生活体験はとても貴重であると考えます。

先日、こんな知人がいました。彼は日頃から「戦争は絶対にしてはいけない。武器は必要無い」と言っています。そんな彼が、今から約750年前の鎌倉時代、元寇の話をしていました。元寇とは2度にわたりモンゴル帝国およびその属国である高麗軍が日本に攻めてきた戦争を言います。

「十数万の元軍が数万の日本軍に襲いかかって来たけれど、神風が吹いたこともあり、日本の武士たちは元軍の兵士をことごとく討ち取って、この戦いだけはスカッとした。」と彼は言っていました。

かけ離れた時間、遠く離れた空間の話になればなるほど、リアリティ(現実感)を失い、想像力の及び難いものになるということでしょうか。まるで戦争(せんそう)は悪であるが、戦(いくさ)は美談になるかの如く。

日常の暮らしにはリアリティがとても重要だと考えます。それは生きること、今生きていることへのリアリティだからです。生のリアリティが希薄になるということは死のリアリティも希薄にならざるを得ません。死を軽んずることは生を軽んずることでもあります。

種を蒔いて、実を収穫して、採れたての野菜を味わう。
森に分け入り、薪を作って、炎の暖かさを感じる。
歩くことによって本当のリモート(遠い彼方への距離)を体感する。
かつて当たり前だったそんなリアリティが、今失われつつあります。

しかし、そういうリアリティこそが、本来人間の持っている「生きようとするシステム」を刺激し続けるのではないかと僕は考えます。

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