One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 主体性・自主性 by T2021/01/14

雪に埋もれた我が家
何を隠そう、僕は小学校6年間、日曜書道教室に通いました(通わされました)。残念ながらその甲斐もなく、昔も今も字は下手です。

では6年間に及ぶ両親の習い事出費(人的投資)は無駄だったのでしょうか?僕が言うのも何ですが、一つの成果があったと感謝しています。それは、休日の朝惰眠を貪る習慣を抑制できたことです。

当時、土曜日は学校に行かねばならない時代でして、日曜日が唯一休日でした。そんな貴重な日曜日に、朝8時時開始の書道教室に行かされたので、ウイークデーと同じ時刻に起こされ続けたわけです。朝は同じ時刻に起こされる、曜日に関わらず決まった時刻に起こされる。そんな6年間でした。

不思議と他のことには厳しくない自由放任の両親でした。勉強しろと言われた記憶がありません。日曜書道教室から帰ったら昼寝しても構いませんでした(たいてい再び寝たいという気持ちは消えていましたが)。ただし朝の惰眠を貪ることだけはできない小学校時代でした。

ところで現在、僕は5時20分に目覚ましをセットしています。今の季節ですと先ず薪ストーブに火を入れなければなりません。起きる時「火をつけた後再び寝よう」と眠い自分を納得させて起きます。ところが火をつけているうちに再び寝たいという気持ちが消えています。つまり寝ていたいと思うのは起きた直後10分間ほどだけです。火を安定させた後は、ブログを書いたり、スクワットしたり、webのニュースを読んだり、自分時間を有効に活用しつつ1日が始まっています。

僕が言いたいことはこういうことです。

「主体性・自主性を大切に」とよく聞きます。自ら考え自ら行動する主体性・自主性のある人間、つまり自分で自分をスタートさせることのできる人間です。主体性・自主性が育っていれば、子どもは言われなくても自ら勉強し始めるし、高齢者は悩まなくても第二の人生を自らマネジメントしていくでしょう。退職後何をして暮らせばよいか分からないという老後には無縁です。

しかし、自ら考え自ら行動する主体性・自主性を起動させる(育てる)スタート時点においては、有無を言わせないある種の強制力(非主体性)が必要なのではないかと僕は思うのです。

小学生の時、そのスタート強制力は両親でした。そのスタート強制力に両親は書道習い費用という大金を投資しました。その投資のおかげでしょうか、現在の僕は自分で自分にスタート強制力を働かせることができるようになったと思っています。最初は両親による他律的な強制力を繰り返されたことによって、それが自律的な強制力に昇華されていったということです。

人に投資するならば、幼い時期つまり人生のなるべくスタート時期に、そして主体性を起動させるスタート時点に集中して投資するのが、最も効果的、効率的なのかも知れません。何故ならば、主体性・自主性が一旦スタートし起動してしまえば、あとは無理に強制されずとも自ら動き始め、自ら生きていくからです。