■ 富山里山の恵み?猪肉シチューでご満悦 …by M ― 2017/02/27

昨日の夕ご飯のメインは猪肉のシチューでした。猪肉は、知人のハンターから頂いたものです。
朝、冷凍庫から取り出し、冷蔵庫へ。昼過ぎには包丁が入るくらいになっていたので、食べやすい大きさに切り、バターで両面を焼いてから、野菜と一緒に煮込みました。
ワインは、昨日カーヴ・ロンドでセレクトしてもらったもの。大抵は量販店で購入するワンコインワインですが、少し高いだけあって美味しいワインでした。最近は1回の食事で1本空けることはなかったのですが、昨日は久しぶりに空けました。
「何もなくても、すべてがある」
ちょうど10年前に我が家を訪れた方が、我が家を表現してくださった言葉です。
昨日、夕ご飯を食べながら、この表現を思い出しました。食材は頂きもの、もしくは菜園での収穫物。お店で買ったものはなくても、こんなに豊かな食事ができるとは…。
里山暮らしが17年目に入り、思い描いていた暮らしにようやく近づいてきたようです。
朝、冷凍庫から取り出し、冷蔵庫へ。昼過ぎには包丁が入るくらいになっていたので、食べやすい大きさに切り、バターで両面を焼いてから、野菜と一緒に煮込みました。
ワインは、昨日カーヴ・ロンドでセレクトしてもらったもの。大抵は量販店で購入するワンコインワインですが、少し高いだけあって美味しいワインでした。最近は1回の食事で1本空けることはなかったのですが、昨日は久しぶりに空けました。
「何もなくても、すべてがある」
ちょうど10年前に我が家を訪れた方が、我が家を表現してくださった言葉です。
昨日、夕ご飯を食べながら、この表現を思い出しました。食材は頂きもの、もしくは菜園での収穫物。お店で買ったものはなくても、こんなに豊かな食事ができるとは…。
里山暮らしが17年目に入り、思い描いていた暮らしにようやく近づいてきたようです。
■ マキシマム東京をOne’s Way検索エンジンにかける …by T ― 2017/02/27

昨年僕が富山県外に出たのは、金沢市の鈴木大拙記念館の訪問、アイルランド旅行、そして妻出走の東京マラソン応援、つまり1年間で合計3回(日数で14日間)でした。
里山暮らしを開始して17年目ですが、年々遠出することが減ってきました。ここOne’s Wayの暮らしが楽しいのです。飽きることがありません。夫婦でゼロから拓いてきたこの場所にとても愛着を感じます。そのような境遇に出会えたことをとても有り難く思います。
今までアイルランドは3回、金沢と東京は数多く訪れましたが、私たちの遠出先も固定化しつつあります。人間の生命には限りがあります。バイキング朝食のようにできるだけ多くの場所に行きたいという欲求と、毎日食べるご飯米のようにできるだけ一つの場所を深く味わいたいという欲求があるとすれば、僕は後者の方が強いのかもしれません。(でも実際、僕はバイキング朝食は大大大好きです。)
興味関心が無いのではありません。自分の過去を振り返ってみると、他人の興味関心に対しては、僕はあまり興味関心がなかったようです。皆がディズニーランドやスカイツリーへ行くから僕も行きたいという選択肢は無かったようです。
先週、東京へ行ってきました。浅草のオオマエジムショという自転車屋さんとかっぱ橋の犬印鞄店へ行き、目の前にスカイツリーがそびえ立っていましたが、やっぱり行きたいと思いませんでした。そして銀座線に乗って三菱一号館美術館へ行きました。
東京は大好きです。
里山の日常に浸れば浸るほど、大都会の非日常でバランスを取ろうという傾向が強くなるのかもしれません。情報化社会になって広く浅い情報を自宅で検索入手しやすくなればなるほど、深い情報はやっぱりアナログ的に自ら赴いて入手する必要があると逆に強く思うようになりました。
乃木坂にあるTOTOギャラリー・間で開催されている建築家の堀部安嗣展へ行きました。スライドショーの中で堀部氏は語っていました。家に欲求を詰め込み過ぎるなと。
最近、断捨離とかミニマルライフとかといった言葉をよく耳にします。モノを持たない、モノに振り回されない生き方ということでしょう。でもそれはモノを捨てることよりもモノに対する過度な欲求を捨てるということでしょう。欲求の再構築といったところでしょうか。
欲求の数をミニマル(最小限)に、しかし一つの欲求をとことん深く掘り下げて。そうしないと大都会東京では、自分が今どこに行って何をすればよいのか、情報の渦の中で途方に暮れてしまうような気がします。
里山暮らしを開始して17年目ですが、年々遠出することが減ってきました。ここOne’s Wayの暮らしが楽しいのです。飽きることがありません。夫婦でゼロから拓いてきたこの場所にとても愛着を感じます。そのような境遇に出会えたことをとても有り難く思います。
今までアイルランドは3回、金沢と東京は数多く訪れましたが、私たちの遠出先も固定化しつつあります。人間の生命には限りがあります。バイキング朝食のようにできるだけ多くの場所に行きたいという欲求と、毎日食べるご飯米のようにできるだけ一つの場所を深く味わいたいという欲求があるとすれば、僕は後者の方が強いのかもしれません。(でも実際、僕はバイキング朝食は大大大好きです。)
興味関心が無いのではありません。自分の過去を振り返ってみると、他人の興味関心に対しては、僕はあまり興味関心がなかったようです。皆がディズニーランドやスカイツリーへ行くから僕も行きたいという選択肢は無かったようです。
先週、東京へ行ってきました。浅草のオオマエジムショという自転車屋さんとかっぱ橋の犬印鞄店へ行き、目の前にスカイツリーがそびえ立っていましたが、やっぱり行きたいと思いませんでした。そして銀座線に乗って三菱一号館美術館へ行きました。
東京は大好きです。
里山の日常に浸れば浸るほど、大都会の非日常でバランスを取ろうという傾向が強くなるのかもしれません。情報化社会になって広く浅い情報を自宅で検索入手しやすくなればなるほど、深い情報はやっぱりアナログ的に自ら赴いて入手する必要があると逆に強く思うようになりました。
乃木坂にあるTOTOギャラリー・間で開催されている建築家の堀部安嗣展へ行きました。スライドショーの中で堀部氏は語っていました。家に欲求を詰め込み過ぎるなと。
最近、断捨離とかミニマルライフとかといった言葉をよく耳にします。モノを持たない、モノに振り回されない生き方ということでしょう。でもそれはモノを捨てることよりもモノに対する過度な欲求を捨てるということでしょう。欲求の再構築といったところでしょうか。
欲求の数をミニマル(最小限)に、しかし一つの欲求をとことん深く掘り下げて。そうしないと大都会東京では、自分が今どこに行って何をすればよいのか、情報の渦の中で途方に暮れてしまうような気がします。