■ さらばもう一度、アイルランド回帰の旅[僕がCOMPETITION BIKE(競走用自転車)にこだわる理由]-後編その1:Air Mail to Ireland - ― 2017/04/15
今は廃刊となっている『月刊ニューサイクリング』誌の2013年6月号に掲載された作品です。
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■ Air Mail to Ireland
正直に言うと、先述1995年の思いがけないショーン・ケリーとの出会いについては、その年の秋、某自転車雑誌に報告し、記事として紹介された。しかし話はここで終わらない。この続編で、とっておき未発表の出来事があるのだ。
僕は、雑誌の記事を早速コピーして、あのOK SPORTSの店主に、お礼の手紙を添えて送った。とはいうものの、住所はおろか、店主の名前さえも全く伺っていなかった。当時は完全に舞い上がっていたのだから。ダメで元々と思い、”OK SPORTS Carrick-on-Suir Ireland”の宛名で投函したわけだ。
その後、手紙は僕のところに送り返されることもなく、10年の歳月が流れた。
その10年の歳月の間に生じた出来事といえば、1998年、アイルランドにツール・ド・フランスの一団がやって来たこと。キャリック・オン・シュアも第2ステージのコースになった。1999年、アイルランドの通貨がアイルランド・ポンドからユーロに変わり、物価が上がったこと。2001年、21世紀突入と同時に、僕たち夫婦は雪国富山県の里山に薪ストーブのある小さな家を構え暮らし始めたこと。
そして、新居での生活も軌道に乗り始めた2005年、夏が巡って来た。

タラの丘[2005年]
※ 口絵、および前編はこちらをご覧ください。
■ さらばもう一度、アイルランド回帰の旅[僕がCOMPETITION BIKE(競走用自転車)にこだわる理由]- 後編その2:Summer in 2005 - ― 2017/04/15
今は廃刊となっている『月刊ニューサイクリング』誌の2013年6月号に掲載された作品です。
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■ Summer in 2005
2005年、夏。僕は妻と再び、アイルランドを旅した。今回は、レンタカーを借り切って17日間旅をした。
ところで僕にとって、自転車は野球と同じ。
自転車で我が家“ホーム”を出たら、自転車で我が家“ホーム”に帰ってくる。ホーム・インしたら僕の勝ち。中年期に入った僕と競走用自転車の付き合い方は、非日常的なレースに出場して勝利を目指すというよりは、日常的に自分を試し、何とかスタート地点“マイ・スウィート・ホーム”にもどってくること。そのための道具としての競走用自転車なのだ。
別に自分に嗜虐的というわけではない。かといって、あまり怠惰な暮らしはしたくない。僕は自由でありたいと願う。怠惰な暮らしは自分の欲望の奴隷状態だ。本当の自由とは、強制ではなく自由意志に基づいて行動規範を定め、一旦決めた規範には自律的に従うことができ、結果、自分で自分を管理し得る状態のことだと思う。
競走用自転車は僕にとって、そんな自由から逃げず、自由に挑み、自由を体感する道具なのだ。「人生山あり谷あり」とは言い尽くされたフレーズだけど、永遠の自転車小僧にとって「山や谷」は最高のバトルフィールドであり競技場なのだ。必然、住まいのある富山県を走ることが多い。そして頻繁に走るルートが自然と定まってくる。まるで山伏の修験道のように。それが自分の性に合っているように思う。
かつては、輪行して遠くを旅をしたり、車に自転車を乗せて県外のレース会場に行ったりもした。でも最近はそのような事がほとんどなくなり、自転車に乗るときは我が家から我が家のドア・トゥ・ドアがほとんどだ。
サイクリングを如何に日常に溶け込ませるか。最近の僕にとって「自転車で何処へ行けるかではなく、自転車と何処に居続けるか」が重要になりつつある。先日、そんな僕を応援してくれるような嬉しい言葉を見つけた。
「発見の旅とは新しい景色を探すことではない。新たな目を持つことなのだ。」
マルセル・プルースト
とはいうものの、国内・海外に関わらず、何かの縁で何処かに旅する機会に恵まれた際は、それはそれで非日常を大いに楽しみたい。特に海外はそう何度も訪れることはできないから、機動力のある車は頼もしい。それに未知で言語も習慣も大きく異なる海外では、たとえ車移動であったとしても、自分で車を運転し旅をしているといった充実感がある。
今回の旅では、前回10年前には訪れることができなかった場所を中心に廻った。そして自転車は一度レンタルした。

コネマラ国立公園へ[2005年、クリフドゥン]
※ 口絵、および前編はこちらをご覧ください。
■ さらばもう一度、アイルランド回帰の旅[僕がCOMPETITION BIKE(競走用自転車)にこだわる理由]- 後編その3:Hill of Tara - ― 2017/04/15
今は廃刊となっている『月刊ニューサイクリング』誌の2013年6月号に掲載された作品です。
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■ Hill of Tara
僕たちがアイルランドに魅了されたのは、そこが自転車ロードレース界の伝説、ショーン・ケリーの母国ということだけではなかった。当時、そして現在も僕たち夫婦はシンプル&スマートな暮らしを目指している。僕たちの究極の暮らしを一言で言えばこうだ。
「何も無いけど全てある。」
そんな暮らしのヒントをアイルランドに求めた。西の果ての慎ましやかな緑の島、アイルランドは、歴史を見れば幾多の他民族の侵略を受け苦渋を味わってきた。それでもケルト民族の末裔たちは現在まで生き続けてきた。『風と共に去りぬ』の主人公、スカーレット・オハラが、最後のシーンで言っていた。
「皆去ってしまって、全てを失った。でも私にはまだ残されたものがある。私が立ち上がることのできるこの大地が。そうだ!タラを、タラの地を目指そう。」
スカーレットに限らず、たとえ何処かの町に大津波が押し寄せて全てを拭い去ったとしても、それでも大地はそこに毅然と存在する。僕たちはアイルランドにライフスタイルのヒントを求めていたのではない。僕たちは、「生きることの素地は如何にあるべきか」、そのためのヒントを求めていた。

タラの丘[2005年]
※ 口絵、および前編はこちらをご覧ください。
■ さらばもう一度、アイルランド回帰の旅[僕がCOMPETITION BIKE(競走用自転車)にこだわる理由]- 後編その4:Connemara - ― 2017/04/15
今は廃刊となっている『月刊ニューサイクリング』誌の2013年6月号に掲載された作品です。
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■ Connemara
アイルランド西部の町、クリフドゥン(Clifden)。
早朝、牛たちが牛舎から放牧地へ出勤する道を、僕たちはレンタルバイクで走った。途中放し飼いの馬にも出会った。道はある特定の種(しゅ)の所有物ではない。そして移動の手段だけのものではない。時には身体を休め、夢や理想を育む場所なのだ。そこはスカイロードという名の道だった。眼下には朽ち果てようとしている古城と大西洋が見えた。背の高い木々が見当たらず、荒涼とした草原が広がり、スカイロードという名の通り、空が大きかった。

スカイロードから古城を望む[2005年、クリフドゥン]
しかし、流水のあるところに森あり。僕たちが目指したカイルモア修道院は、そんな森と湖に守られた場所にあった。僕たちは修道院の前に立ち、湖の向こうに横たわるコネマラの山々を眺めた。湖上には山の眺望を遮る建造物を建てることができない。そして湖面が音を吸収し静けさをもたらしてくれていた。「何かが無い」ということが如何に贅沢であるか、眼前に広がる一幅の風景が教えてくれていた。
カイルモア修道院には、アイルランド西部で最も美しいといわれるカイルモア・ガーデンがある。ガーデンの一角には菜園も丁寧に営まれていた。野菜やハーブ栽培の他に、この修道院ではパンやワインも自給自足しているらしい。庭園清掃、菜園作務、食料自給、日常の必要性自体が修行である。生きる目的と生きる方法・手段が一致した姿。何か禅に通じるようなものを感じた。
カイルモア修道院からの帰途、草原の中にダイアモンド・ヒルという名の岩肌が露出した丘があった。西風が強く土が吹き飛ばされ雑草さえも根付くのが困難な丘。でもそれはダイアモンド。つくづく思った。「世界は認識でできている」と。人間は何も無いところからでも色とりどりの花園をイメージすることさえできるだろう。
旅の後半になり、やっぱりあの町を訪れたいという衝動に駆られた。そう、あの町。カントリーミュージックの響きのある町「キャリック・オン・シュア」。それに僕には、ある心残りがあった。

カイルモア修道院[2005年]

世界は認識で出来ている。「ダイアモンドヒル」をひとつかみ[205年、コネマラ国立公園]
※ 口絵、および前編はこちらをご覧ください。
■ さらばもう一度、アイルランド回帰の旅[僕がCOMPETITION BIKE(競走用自転車)にこだわる理由]- 後編その5: Carrick-on-Suir Again - ― 2017/04/15
今は廃刊となっている『月刊ニューサイクリング』誌の2013年6月号に掲載された作品です。
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■ Carrick-on-Suir Again
10年前に宿泊したFATIMA HOUSEという名のB&Bはまだ健在だった。
10年前に宿泊した日本人だと伝えたら、普通料金でスィート・クラスの部屋に案内され、アイリッシュ・ウイスキーまでご馳走になった。今回の旅はレンタカーだったので、郊外にある”Sean Kelly Sports Center”まで足を伸ばし、ジムでウエイト・トレーニングをして汗を流してきた。
![[ショーン・ケリー・スクエア]のメモリアルプレート [ショーン・ケリー・スクエア]のメモリアルプレート](http://onesway.asablo.jp/blog/img/2017/04/15/479693.jpg)
新しくなっていた「ショーン・ケリー・スクエア」のメモリアルプレート[2005年、キャリック・オン・シュア]
そして町に帰ってきて、10年ぶりに散策すると「ショーン・ケリー・スクエアー」のメモリアル・プレートは大きく新調されていて、ケリーの写真入だった。そこには”SEAN KELLY King of Cycling”と彫られてあった。僕の友人が言っていた。Cyclingとはレース志向の単語だそうだ。自転車旅行志向はTouringというそうだ。
スクエアーに面してあったフィッシュ&チップス屋さんは、一軒分、場所を移動し、店構えを新たに営業中だった。店主に「以前はお隣に店がありましたね」と話すと、「よく覚えてくれていたね!どこから?へぇー日本から。楽しんでいってね」と、出来立てフィッシュ&チップスを手渡して下さった。僕たちは町を流れるシュアーリヴァーの川べりのベンチに腰を下ろし、フィッシュ&チップスを平らげた。そしていざ、OK SPORTSへ。
店に入ると、あの髭の店主が。店主も僕たちもチラチラと相手を意識していた。僕はいつ話を切り出そうかとタイミングをうかがっていたところ、一瞬、店主の方が速かった。
“From Japan?”
“Yes, we are.”
そう僕は答えて、10年前に店主に撮ってもらったショーン・ケリーと一緒の写真をポケットから取り出して見せた。すると、店主は店のカウンターの後ろに貼ってある一枚の紙を外して、僕たちに見せてくれた。
「オーッ マイ ガーッ! 何ということでしょう!!」
それは、丁寧にクリアシートでラミネートし保護された、僕が10年前に送ったお礼の手紙と雑誌に掲載された記事のコピーだった。10年間大切にお店に飾ってあったのだ。あとは下手な叙述は要しませんね。
僕たちは10年前にショーン・ケリーと撮影した場所で、ケリーの立っていた位置には店主に立ってもらい写真を撮った。別れ際、僕は店主に、例の心残り、いつか尋ねようと思っていたことを質問した。
“Excuse me. What’s your name?”
※ 口絵、および前編はこちらをご覧ください。
http://onesway.asablo.jp/blog/2017/03/26/8421647
■ さらばもう一度、アイルランド回帰の旅[僕がCOMPETITION BIKE(競走用自転車)にこだわる理由]- 後編その6: he present time in 2013 - ― 2017/04/15
今は廃刊となっている『月刊ニューサイクリング』誌の2013年6月号に掲載された作品です。
■ The present time in 2013
「三顧の礼」という故事がある。
中国三国時代、蜀の劉備が三度、諸葛亮孔明の庵を訪れて遂に軍師に迎え入れたという逸話は、目上の人が礼を厚くして、人にお願いすることという意味だそうだ。僕自身が目上だと言えば、それは大ヒンシュクものだ。しかし、身分の上下云々よりも、何事であれ三度繰り返すことが、相手に対し「自分は只ならぬ気持ちを抱いている。真剣な思いがある。」というメッセージを送ることになるのではないかと僕は思うのだ。
何かに集中する際は「三昧(さんまい)」とも言う。単にサンスクリット語に漢字を当てたらしく、3という意味があるかどうかは怪しいけど。そして禅寺の空門、無相門、無願門の三門をくぐり、ただ一心に解脱を目指すことを「三三昧」とも言うらしい。二回までは割とできる。しかし、三度となると、それは正に「三度目の正直、正真正銘、真剣な感謝の気持ち」だ。
もうすぐ、2015年がやって来る。前回のアイルランドの旅から丸10年である。もし仮に、この原稿が「月間ニューサイクリング」に掲載された暁には、今度はコピーの郵送じゃなく、新品の一冊を持参して、スポーツショップ”OK SPORTS”の店主であるJohn O’Keefe氏のもとを訪れようと思っている。そして僕は以下のように説明し、「月間ニューサイクリング」をプレゼントしてこよう。
“This is the oldest and the most valuable bike magazine in Japan.”
“I am still riding my competition bike.”
“I will be a competitor to the last.”
(この雑誌は日本で最もヴィンテージの高い自転車雑誌なんだ。僕は今でも競走用自転車に乗っているよ。僕は死ぬまで選手だ。)
物語の続きは2年後の2015年に・・・
追記
もうピンと来た読者の方もいらっしゃると思うが、”OK SPORTS”のOKとは、いわゆる「いいね、オーケィよ」の意味ではなく、店主John O’Keefe氏のファミリーネームからとられていたわけである。

OKスポーツの店主と記念撮影。10年前に送ったお礼の手紙を持って[2005年、キャリック・オン・シュア]
(了)
※ 口絵、および前編はこちらをご覧ください。
http://onesway.asablo.jp/blog/2017/03/26/8421647
※ その他のシリーズはこちらをご覧ください。
■ 金山里山にダイコンの花咲く頃 by T ― 2017/04/15

午前中に雷雨が通過し、種蒔きには絶好のタイミング。今日は黒衣笠というインゲンマメと黒もちとうもろこしの種を蒔きました。黒もちの種は昨年採ってあった種と今年購入した種を混ぜて蒔きました。カラス除けに不織布を被せて終了。幸い週間天気予報では雨の多い一週間になりそうです。
そんな播種の日に、同じ菜園内で宮重ダイコンが白い花を咲かせました。冬の間全てのダイコンを収穫せず、種を採るために敢えて残しておいた在来種ダイコンです。今日花を咲かせたダイコンも昨年種を採取して育ったダイコンです。
発芽する種は貴重な財産です。種は芽が出るのが当たり前と思ったら大間違い。世の中には作為的に発芽しないように作られた種が多く流通しているからです。
農もどっぷりビジネスのカラクリに組み込まれているようです。商売ではなく自分で食べるために野菜を作る者にとってはとても厄介なカラクリです。
何が正常で何が異常なのか、誰も教えてくれません。そしてダイコンの花は無心に咲くのみです。
そんな播種の日に、同じ菜園内で宮重ダイコンが白い花を咲かせました。冬の間全てのダイコンを収穫せず、種を採るために敢えて残しておいた在来種ダイコンです。今日花を咲かせたダイコンも昨年種を採取して育ったダイコンです。
発芽する種は貴重な財産です。種は芽が出るのが当たり前と思ったら大間違い。世の中には作為的に発芽しないように作られた種が多く流通しているからです。
農もどっぷりビジネスのカラクリに組み込まれているようです。商売ではなく自分で食べるために野菜を作る者にとってはとても厄介なカラクリです。
何が正常で何が異常なのか、誰も教えてくれません。そしてダイコンの花は無心に咲くのみです。