One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 反省の言葉は発しない by T2019/06/30

夫婦どちらか一方が必ず毎日1つはブログ記事をアップしている。休んだ日はほぼ無い。なんとか2年以上続いている。

自分は決して筆まめでは無い。それは自分でよく分かっている。だから自然に放っておいたら絶対に続かない。それもよく分かっている。そして、書くことを途切らすと多分こう反省の言葉を周囲に漏らす。
「だからダメなんだよね、僕は。書かなきゃと思ってるんだけど・・。これから続けるように反省してます。」

そしてここが重要なポイントであるが、反省することで心が楽になってしまう。反省できる自分に酔いしれ自分を許してしまう。だから安易に反省しているうちは絶対に書き続けることができないと僕は確信している。

そもそもブログくらい書き続けなくても、誰に責められるわけでも何でも無い。それで給料をもらっているわけでも無い。なのに何故反省するのか?理由はただ1つ。書かなかった自分を許すためだ。自分はキチンと反省できるから善人なのだと問題をすり替えているわけだ。

善人ぶると何か臭ってくる。

だから僕は考えた。絶対に反省の言葉を発しないと。ただ書き続けると自分で決めたルールに従い書き続ける。書けなかったら書けなかった事実だけを残す。何を言ったかが重要なのでは無い。何をしたかが重要である。

「掃除しなくちゃといつも反省してるんだけど、ついつい・・」
「つい食べ過ぎちゃって・・反省してます。」
「朝、どうしても起きられなくて・・。」

そんなこと他人はどうも思っていない。自分のことでいっぱいなのだから、人のことまでかまっていられない。そもそも掃除やダイエットや早起きなんて義務でもなんでも無い。この国の義務は、労働の義務と、納税の義務と、教育を受けさせる義務の、たった3つの義務しか無い。

安易に反省の弁を述べる善人を僕は信用しない。反省を連発して善人を装う善装人を信用しない。反省善人間よりも、完璧な三日坊主人間や自分に超甘いを貫いている悪弱人間の方を僕は信用する。何故ならその人の行為に嘘偽りが無いからだ。

ともあれ僕は反省の言葉を発しない。反省するくらいなら、別にブログなんて書くほどのことでも無い。