One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ リスペクト by T2019/10/10

犬猿の仲

僕は犬や猫が嫌いではない。そもそも犬や猫が好きであるとか嫌いであるといった感覚が僕には分からない。だから嫌いではないとしか言えない。

あなたは空気が好きか嫌いか?と尋ねられたらどう答えますか?
あなたは水が好きか嫌いか?と尋ねられたらどう答えますか?
あなたは地球が好きか嫌いか?と尋ねられたらどう答えますか?

僕にとって、犬や猫が好きか嫌いか尋ねられるのは、空気や水が好きか嫌いかと尋ねられ困ってしまうのとよく似た感覚なのである。

子供が好きか嫌いかといった問いにも困ってしまう。命に対する好き嫌い感覚が僕には分からないのである。空気や水という存在が好き嫌いというレベルを超えた存在であるのと同様に、命の存在も好き嫌いというレベルを超えた存在だと思うからである。

我が家では現在のところ犬も猫も飼っていない。先述の理由で犬や猫が好きでも嫌いでもないと言うと、周囲の人から冷めた人のように思われることが時々ある。犬猫アレルギーと勘違いされペット同伴で我が家を訪問するのをためらう人もいる。

ペットを飼っていない理由を強いて挙げるとすれば、自由を束縛されている動物を見ると可愛そうだと思うからである。好き嫌いなどの都合で他の命の自由を束縛するのを、僕個人に限って言えばためらうからである。

自由意志で我が家を訪れてくれる野鳥や小動物は大歓迎である。ミミズやアシナガバチやヘビも大歓迎である。マムシやイノシシやスズメバチなどは、お互いの共存のために柵誘導や棲み分け策を講じることはある。

自分は神ではない。命ある存在に対し好き嫌いといった審判は、自分の領域外である。自分の領域は、命ある存在に対し敬意を払うまでであると思う。

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