One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ やりがい詐欺 by T2020/09/11

ミソハギ

「やりがい詐欺」という言葉があります。
オクラホマ州立大学などによるメタ分析では、仕事に情熱を燃やす従業員ほど無給・長時間労働を強いられたり、本来の業務以外の仕事をやらされたりしやすい事実が報告されており、これは世界的共通の現象で「やりがい詐欺」と呼ばれています。

「やりがい詐欺」の背景には、情熱のある人には少々負担を強いて搾取しても許されるといった無意識の心理バイアスがあるからとされています。

ボランティアする立場であれボランティアされる立場であれ、私たちは「やりがい詐欺」に気をつけなければなりません。

もう一つ「ヘルパーズ・ハイ」という言葉があります。人助けをしたり人に喜んでもらうと気持ち良くなることです。麻薬でハイになるよりも強力で、しかも無害で生産的なハイですが、このヘルパーズ・ハイにつけ込む「やりがい詐欺」にも気をつけなければなりません。

世の中に無料(ただ)というものはありません。無料(ただ)より高くつくものはありません。無料(ただ)に依存する組織や活動は持続しません。組織の目的が明確であり、目的達成によるフィードバックが明確であることはとても重要だと考えます。

僕の所属している金山里山の会という組織では、日当支払いや薪現物受益などフィードバックを明確にしています。そして情熱やボランタリー精神に過度に依存しないようにしています。

人間だもの、得することは重要であり長続きの秘訣です。

■ 野菜のリレー by T2020/09/12

オクラの花

昨日、ダイコンとカブとミズナの種を蒔きました。

台風によるフェーン現象も過ぎ去って涼しくなり、前日にしっかり雨が降り、地面が十分に水を吸い込んだ状態での種蒔き。このタイミングを待っていました。

午前中に種を蒔き、午後に入ると何と!雨が降り出し最高の巡り合わせ。

ところで、今年の白菜苗は成長がイマイチで、未だ小さいので来週に苗植えをする予定です。菜園の良い点は複数の野菜を作ることができる点です。不作の野菜があっても他の野菜でカバーする。人間は自然をコントロールできませんが、リスクを意図的に分散することは可能です。

今は秋ナスやピーマン、シシトウ、オクラ、ゴーヤなどまだまだ収穫できていますが、やがてフェードアウトしていくのに代わって、冬野菜のすぐり菜が採れ始めます。その時その時に収穫できる野菜を食べ繋いでいくわけです。最高の食材は、その時の巡り合わせで手に入る野菜です。

■ 社会的手抜き by T2020/09/13

孤独なヤモリ
薪焚き人の会で重要視していることがあります。それはこういうことです。

原則として自分で作った薪(薪原木)は自分のものとなること。
活動日に自分で生産した薪(薪原木)は、その日の内に自分が持ち帰ること。

つまり「自分の能力に応じて働き、その働きに応じて受け取る」ということです。

人間の協力と助け合い、確かに美しい言葉の響きです。しかしその美しさが時として、集団による労働の生産性低下と不平等を生じさせることがあります。そして、その不平等感が集団を崩壊させる原因になることもあります。

例えば、ある活動日に3人の薪焚き人が森に入ったとします。あるメンバーのチェンソーが整備不良で全く仕事にならなかったとします。すると2人の生産力で薪を作らねばなりません。作業終了後2人の生産物を3人で分けたとしたら、本来3人全員で生産したよりも一人当たりの取り分が少なくなります。確かにチェンソーの不測の不調は現実にあります。ほんの些細な不平等感かも知れません。そんな冷たいことを言わなくてもと思われるかも知れません。しかしそんな些細な不平等感から集団に亀裂を生じさせることがあることも事実です。大方人間関係の亀裂は些細なことから始まるものです。

「リンゲルマン効果」という現象があります。「社会的手抜き」とか「ただ乗り現象」とも呼ばれます。これは、集団内にあって自分の努力の量に関わらず報酬が変わらないという前提ならば、無意識に努力を怠る傾向が見られるというものです。集団の力は個々人の力の総和とは限らないということです。チェンソーの不備や燃料切れなども手抜きの無意識的失策行為かも知れません。

薪焚き人の会では、1人で森に入って薪を作ることは禁止されています。危険だから必ず2人以上でないと入山できません。しかし一方で、各人が自分の行動に責任を持ち自分の力で薪を作る気概を持ち続けることも大切だと考えます。

参考 : リンゲルマン効果・・20世紀初頭、フランスの農学者マクシミリアン・リンゲルマンは、荷車を引くなどの集団作業時の一人当たりのパフォーマンスを数値化した。実験の結果、1人の時の力を100%とした時、2人の時は93%、3人では85%、4人では77%、5人では70%、6人では63%、7人では56%、8人では49%と一人当たりの力の量が減少した。

■ 恵みの雨 by T2020/09/14

ニラの花

ニンジンの種蒔きは7月から8月が夏蒔き時期とされますが、僕は9月上旬頃に蒔いています。その理由を述べましょう。

①真夏の7・8月の種蒔きは畝作りが大変。
②温暖化の進行で9月上旬も気温が高い。
③秋の長雨時期は水撒きが省ける。

特に③です。ニンジンは発芽の際に水分が必要です。ニンジンの成功は発芽するか否かにかかっています。種を一昼夜水に浸しておき、種蒔き後も水やりを頻繁に行わねばなりません。でも、一旦発芽してくれれば、後はニンジンは丈夫です。虫の被害もほとんどありません。間引きしながら少しずつ長期間に渡って食べ続けることができます。

スーパーマーケットで売られているニンジンには葉っぱが付いていませんが、自家菜園のニンジンの場合、葉っぱも食べることができます。食べたい時に食べたい分だけ菜園から引っこ抜いてきて新鮮なニンジンを食べることができます。

雨が降り出しました。秋の長雨です。ニンジンにとっては恵みの雨です。


写真は人参ではありません。6月に義母に頂いたニラが花をつけました。

■ アメニティの庭 by T2020/09/15

野鳥のくる庭
庭のある家にお住まいの方に質問します。
「庭の役割は何ですか?」

相続した庭なので、役割云々の前に、そこに既に庭があるから維持している、と答える人もいるでしょう。でも、コンクリート敷きの車庫や駐車場にしたりせずに庭として維持しているなら、そこに何らかの意味を感じておられるのではないですか?
趣味の庭、悟りの庭、集いの庭、権勢を誇る庭・・・。

我が家の場合を述べましょう。我が家の庭の役割は実に明確です。
それは「アメニティの庭」ということです。

アメニティ(amenity)とは快適性、心地良さという意味の言葉です。心地良く居住するための手段としての庭ということです。だから、心地悪くなるなら、即刻庭を放棄するでしょう。

例えば、訪問客が「このお宅の庭は雑草が生えていてみっともない」と思うんじゃないか?と思ったとします。すると嫌だけど草取りしなければ、と思いストレスを溜めることになります。アメニティを損ねます。だから僕はそういう無意味な考えを無視して無理に草取りしません。訪問客のための庭でなく、自分が心地良くなるための庭だからです。

風や直射日光を和らげ新鮮な酸素を供給し、野鳥を呼び寄せ苔を広げ、私たちの暮らしを心地良くしてくれる庭。だから庭を維持しています。

■ ここまでやるか? by T2020/09/16

ノーパンクタイヤの成れの果て
写真をご覧下さい。一輪車(ネコ)のノーパンクタイヤの成れの果てです。
タイヤの表面トレッドがすり減って消滅し、内部のソリッドスポンジが裂け、最終的にリムから外れてしまいました。よくもここまで使い尽くしたと自分でも感心しています。

この一輪車は、家を新築する前、敷地内の灌木下草を開拓し菜園を営んでいた時から使用しています。最初チューブ入りタイヤが付いていましたが、酷使し過ぎとうとうパンク、その後写真のノーパンクタイヤを取り付けました。

チューブ入りタイヤの方が転がり抵抗が少なく軽い走りなのですが、メンテナンス面を鑑み、僕は次回もノーパンクタイヤを新調するつもりです。

石積みの石を運んだり、薪を運んだり、堆肥を運んだりと、やがて四半世紀働いている一輪車。とても大事な道具の一つです。

■ お彼岸の木漏れ日 by T2020/09/17

木漏れ日
もうすぐ秋分の日。朝日が真東から上る時期になります。太陽の南中高度が徐々に下がってきて室内に日差しが長く入り込むようになってきました。

以前までは、初秋の残暑時は直射日光が入ると暑く感じましたが、最近では家の周りのコナラやトチノキなど雑木屋敷林が大きくなり、直射日光が柔らかな木漏れ日となって室内に入ってくるようになりました。

雑木達はこれから紅葉黄葉を装い、その後は落葉して、代わって晩秋の寒さを和らげてくれる長い日差しをたくさん室内に取り込んでくれます。

どこに行かずとも、家の中にいるだけで、家の床を眺めているだけで季節の移り変わりを楽しめることを、とても有り難く思います。

■ 多様性のある天気 by T2020/09/18

雨の庭
秋雨前線の通過でめっきり涼しくなりました。
昨日ホウレンソウの種を播きましたが、今朝は水撒きしなくてもよさそうです。

1週間前に種播きしたダイコンやミズナなども芽を出しています。植物には太陽の光と同時に雨の水も必要です。

これからしばらくは、晴れたり曇ったり雨が降ったりと変化に富んだ季節。そんな変化に合わせての里山生活となります。

先日、晴天無風の火曜日には「里山の塩」を作りました。猛暑の夏には火を起こすことが困難だったので久々の作業でした。今回は、知人からバックホーを借りた賃貸料としての「里山の塩」作りでした。無事完成して良かったです。

晴れた日は晴れた日なりに、雨の日は雨の日なりに、
多様性のあるお天気に感謝です。

■ 無人化 by T2020/09/19

栗の皮むき
僕はコーヒーが好きです。ドリップコーヒー、インスタントコーヒー、コーヒーに貴賎の区別無しと思っています。
しかしながら、コーヒー好きの僕にとって一番美味しく感じるコーヒーは何か?
「それは、誰かに淹れてもらったコーヒーです。」

最近、世の中は便利になって、面倒な仕事の無人化が進んでいます。

キッチンを見てみましょう。スーパーのお惣菜や加工食品の電子レンジで「チン」調理。後片付けは食器洗浄機。食後のコーヒーもコーヒーメーカーが作ってくれる。こんな手間入らずなキッチンにもかかわらず、時々外食も。

そんな時代だからこそ、人間の手間が加わった成果は貴重で有り難いものに感じられます。人間の手間とはその人の時間と労力が投入されることです。その人間の人生の一部つまり生命の一部を捧げての投資をすることです。だから価値があるのです。

今後、生活の無人化・自動化が更に進むでしょう。と同時に、人間の手間の希少価値も無人化に反比例して上昇するでしょう。

ところで生活の無人化・自動化の目的は何なのでしょう?面倒なことを避けることだけが目的でしょうか?無人化・自動化の目的の一つに、稼ぐ時間を捻出するためといった目的があると僕は思います。今後年金支給額も減少し、高齢になっても稼ぐ時間を捻出せねばならず、よって無人化・自動化は加速するでしょう。

ならば、僕は考えます。1日も早く稼ぎの無人化・自動化を達成し、稼ぐために費やす時間を手間をかける丁寧な生活に充当させることを。

写真は、昨日庭で拾った栗を妻が調理してくれた時の写真です。栗を拾って、茹でて、皮を剥いて、栗おこわにして、そして昼の弁当に詰めてもらいます。無人化・自動化の時代だからこそ、貴重で有難い人間の手間です。

■ これだけ進歩したにもかかわらず by T2020/09/20

両方とも1,500円
先日、通勤帰りに自転車の前輪がパンクしました。今年初めてのパンク。秋の日は釣瓶落とし、暗くなりかけていたので急いでチューブを交換して帰宅しました。

こんなに科学技術が進歩して、宇宙にまで飛び出すことができるようになった人類にもかかわらず、未だにタイヤの無パンク化を実現できていません。

確かに自転車のノーパンクタイヤは存在します。しかしその乗り心地は重たく良好とは言えません。またノーパンクタイヤは外すのが困難で、リムやスポーク修理が面倒です。

パンクのリスクが無くなるならば、自転車は更に性能の良い道具となるでしょう。

とは言うものの、パンク修理するのも楽しいものです。せっかく身につけたパンク修理のスキルですから、1年に1回くらいのパンクはスキル維持には適当です。

写真は、左が一輪車のノーパンクタイヤ車輪及び軸付きで、右が僕の自転車のタイヤチューブのみです。何と、両方ともほぼ同額の約1500円です。これも信じられません。