■ フリーダム・トレイル(その8:ソローが建てた煙突の場所) ― 2017/02/13
2004年8月に私たちは旅行でボストンとコンコードを訪れ、帰国後旅の記録として冊子を作成しました。その文章及び写真を掲載します。
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フリーダム・トレイル:自由への軌跡
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ソローが建てた煙突の場所
2004年8月9日の早朝、僕たち夫婦はコンコードの中心を出て、ソロー・ストリート(ソローがウォールデン池とコンコードの町の間を歩いたと思われる道)を歩き、ウォールデン池へ行った。
途中、鹿にも出会い、ボストンへの通勤の車が急ぐ国道2号線を横切って、ソローが家を建てた場所へたどり着いた。ソローが正にここで、2年2ヶ月と2日間、自給自足の生活をしたとき、2号線のエンジン音は聞こえなかったであろう。エンジン音は、真っ直ぐ伸びる松林に緩衝されながらも、僕たち夫婦の耳に微かに入ってきていた。
僕は自然と人間を区別し対比するのは嫌いだ。人間は自然の一部であり、100パーセント自然に包括されるのである。自分は自然じゃないという人がいたら会ってみたい。人間は有機生命体の一種に他ならないのである。人間だけが特別なのではない。僕たちにできることは、自然の一部である人間が生み出した車のエンジン音について、その意味を自ら沈思黙考するしかないのである。
僕たちは、フイルム・ケースに灰を詰めて持ってきていた。その灰は、我が家の薪ストーブにて、人間と同類である有機コナラ薪から、遙か異次元の類である無機自然へと変化した灰であった。そして、レッド・オークの葉からこぼれ落ちた夜露に濡れる、煙突場所を示す石碑の横に撒いた。
これでいい。
これで、僕たちがはるばるコンコードのウォールデン池畔にやって来た、その目的を、朝飯前に終了することができたのである。雲一つない空とウォールデン池が互いに青さを競っている、それは最高に御機嫌の朝だった。そして満足感に浸りながらこの日を終えるはずであった。
しかし、現実とは、時として筋書き通りには行かないものである。
全く何も知らずにウォールデン詣をした、2004年8月9日というこの良き日が、どんぴしゃりの150年前に、かの世界的名著『ウォールデンー森の生活』(H.D.ソロー著)の初版本が出版された日であり、コンコードの博物館が、『ウォールデンー森の生活』出版150周年記念のスペシャル・ディをささやかに祝っていることを知ったのは、その日の昼近くだった。
