■ 意志力には限りがある。 by T ― 2020/01/11
マラソンを継続するのにも、薪割りを継続するのにも、ダイエットするのにも、はたまた長期積み立て投資するのにも、継続するには意志力が必要です。それも瞬発的な意志力でなく、長期に持続できる意志力が必要です。
でも意志力には限りがあります。それは根性、忍耐力に頼っても限界があります。また個人差の問題ではないと考えます。
僕が考えるに、意志力をより持続させるためには、如何に意志力をセーブするかだと考えます。如何に意志力をセーブすることに意志力を投入するかだと考えます。
マラソンを例に挙げましょう。ご存じマラソンは42、195Kmを走るスポーツです。僕の経験上、30Kmを過ぎたところからマラソンが始まります。つまり30Kmを過ぎたあたりから心身の状態が非日常性を帯びてくるのです。どれだけ意識して脚を前に出そうとしても思うように動かなくなってきます。意識と肉体の解離です。根性や忍耐力では解決できない領域に入ります。
ゴールまで残り10キロ余りを如何なるコンディションで走るかは、それまでの30Kmを如何にセーブして走ることに意志力を費やしてきたかにかかっています。つまり意志力を「すること」に使うのでなく「しないこと」に使うわけです。
ダイエットを続けるには、食べることを「しない」ことです。しないことに意志力を使います。
薪割りを続けるにも体力をセーブし、時間を作るため他の雑事や社交を意識的にサボります。薪割りに限らず、里山スローライフの充実は、如何に里山外を出歩いてエネルギーを浪費「しない」かにかかっています。
老後に向けての資産形成も「しない」意志力が重要だと考えます。若くて収入の多い時にこそ、浪費をセーブすることです。老後になってヤバいと気付きヨボヨボでも働かねばというのは、フレイル(若い時の不摂生による虚弱化)になり歩行が困難になってから歩行訓練リハビリに汗を流すようなものです。歩ける時にこそ歩いた方が良いと思います。
というわけで、僕の2020年の目標はこうです。
〈やりたくないことを「しない」ことに意志力を使う〉
繰り返します。意志力には限りがあります。やりたいことを「しない」ところに意志力を注ぐと意志力の消耗が激しいです。だからその前に、先ず、やりたくないことを「しない」ところに意志力を注ごうと考えています。この方がストレスも削減でき節約的な意志力の使い方だと考えます。
でも意志力には限りがあります。それは根性、忍耐力に頼っても限界があります。また個人差の問題ではないと考えます。
僕が考えるに、意志力をより持続させるためには、如何に意志力をセーブするかだと考えます。如何に意志力をセーブすることに意志力を投入するかだと考えます。
マラソンを例に挙げましょう。ご存じマラソンは42、195Kmを走るスポーツです。僕の経験上、30Kmを過ぎたところからマラソンが始まります。つまり30Kmを過ぎたあたりから心身の状態が非日常性を帯びてくるのです。どれだけ意識して脚を前に出そうとしても思うように動かなくなってきます。意識と肉体の解離です。根性や忍耐力では解決できない領域に入ります。
ゴールまで残り10キロ余りを如何なるコンディションで走るかは、それまでの30Kmを如何にセーブして走ることに意志力を費やしてきたかにかかっています。つまり意志力を「すること」に使うのでなく「しないこと」に使うわけです。
ダイエットを続けるには、食べることを「しない」ことです。しないことに意志力を使います。
薪割りを続けるにも体力をセーブし、時間を作るため他の雑事や社交を意識的にサボります。薪割りに限らず、里山スローライフの充実は、如何に里山外を出歩いてエネルギーを浪費「しない」かにかかっています。
老後に向けての資産形成も「しない」意志力が重要だと考えます。若くて収入の多い時にこそ、浪費をセーブすることです。老後になってヤバいと気付きヨボヨボでも働かねばというのは、フレイル(若い時の不摂生による虚弱化)になり歩行が困難になってから歩行訓練リハビリに汗を流すようなものです。歩ける時にこそ歩いた方が良いと思います。
というわけで、僕の2020年の目標はこうです。
〈やりたくないことを「しない」ことに意志力を使う〉
繰り返します。意志力には限りがあります。やりたいことを「しない」ところに意志力を注ぐと意志力の消耗が激しいです。だからその前に、先ず、やりたくないことを「しない」ところに意志力を注ごうと考えています。この方がストレスも削減でき節約的な意志力の使い方だと考えます。
■ 里山生活は残業できない人間に適している。 by T ― 2020/01/12
ある人が言っていました。
日本の中学生はどうして遅くまで学校にいるのか?夕方4時頃に放課となるのに、部活動を強制させられて。どうしてか知ってる?あれはね、大人になって残業に耐えうる人間にするためだよ、と。
日本の中学生はどうして宿題が多く、保護者も宿題を多く要求するか知ってる?それはね、大人になってこなしきれない仕事を家に持ち帰る忍耐力を身につけさせるためだよ、と。
日本の中学校では、残業しているのは教師だけでなく、生徒もなんだよ、と。
これで判明しました!何故僕は残業に耐えれない大人なのかの理由が。
僕は中学生の時も高校生の時も部活動を真面目にしない帰宅部生でした。根性が無く学校に長くいることに耐えられなかったのです。僕は放課後の自由な時間を学校以外で楽しみました。予習復習を楽しんだり、サイクリングしたり、歴史の本を読んだり、映画館に行ったり、洋楽聴いたり。特に夏休みは全く自由で、家の風呂掃除したり、立山に一人で登りに行ったり、電車で一人旅行したり。本当に楽しかったです。
つまり僕が帰宅部生として学んだことは、自分の自由な時間を自分でマネジメントすることでした。
そして予想を裏切ることなく、僕は残業できない大人に成長しました。だから今でも自由な時間を自分で考えてマネジメントする里山生活をしています。
里山生活には、残業できない人間がとても適しています。もし残業して里山の自宅に帰るならば、寝るだけの里山に終わっちゃいますから。
人生とは面白いものです。ひと昔は忙しく働くことが美徳だったのに、最近は残業を減らせと叫ぶ時代になりました。でもそれはかつて働けと強制されていたことが、今働くなと強制されるようになっただけで、受け身的なことに何ら変わりはありません。誰かに敷いてもらったレールを必要としていることに変わりはありません。
今でも相変わらず残業できない僕ですが、こんな僕でも良き家庭や友人に恵まれ、人並みに厚生年金受給資格も取得できそうです。
部活動でしごかれた経験が無いおかげで運動することにトラウマがありません。だから50歳代になってもマラソンを完走できる心身に恵まれました。有難いことです。
定年退職後、何をしてよいか分からないとか、歳をとって仕事辞めたら認知症になるかも、といった悩み不安は、今まで全く考えたことがありません。だって、自由な時間は、僕にとって、水を得た魚の「水」ですから。
日本の中学生はどうして遅くまで学校にいるのか?夕方4時頃に放課となるのに、部活動を強制させられて。どうしてか知ってる?あれはね、大人になって残業に耐えうる人間にするためだよ、と。
日本の中学生はどうして宿題が多く、保護者も宿題を多く要求するか知ってる?それはね、大人になってこなしきれない仕事を家に持ち帰る忍耐力を身につけさせるためだよ、と。
日本の中学校では、残業しているのは教師だけでなく、生徒もなんだよ、と。
これで判明しました!何故僕は残業に耐えれない大人なのかの理由が。
僕は中学生の時も高校生の時も部活動を真面目にしない帰宅部生でした。根性が無く学校に長くいることに耐えられなかったのです。僕は放課後の自由な時間を学校以外で楽しみました。予習復習を楽しんだり、サイクリングしたり、歴史の本を読んだり、映画館に行ったり、洋楽聴いたり。特に夏休みは全く自由で、家の風呂掃除したり、立山に一人で登りに行ったり、電車で一人旅行したり。本当に楽しかったです。
つまり僕が帰宅部生として学んだことは、自分の自由な時間を自分でマネジメントすることでした。
そして予想を裏切ることなく、僕は残業できない大人に成長しました。だから今でも自由な時間を自分で考えてマネジメントする里山生活をしています。
里山生活には、残業できない人間がとても適しています。もし残業して里山の自宅に帰るならば、寝るだけの里山に終わっちゃいますから。
人生とは面白いものです。ひと昔は忙しく働くことが美徳だったのに、最近は残業を減らせと叫ぶ時代になりました。でもそれはかつて働けと強制されていたことが、今働くなと強制されるようになっただけで、受け身的なことに何ら変わりはありません。誰かに敷いてもらったレールを必要としていることに変わりはありません。
今でも相変わらず残業できない僕ですが、こんな僕でも良き家庭や友人に恵まれ、人並みに厚生年金受給資格も取得できそうです。
部活動でしごかれた経験が無いおかげで運動することにトラウマがありません。だから50歳代になってもマラソンを完走できる心身に恵まれました。有難いことです。
定年退職後、何をしてよいか分からないとか、歳をとって仕事辞めたら認知症になるかも、といった悩み不安は、今まで全く考えたことがありません。だって、自由な時間は、僕にとって、水を得た魚の「水」ですから。
■ 薪ストーブクッキング「焼き芋」編 by M ― 2020/01/13
昨年末に薪ストーブでドライバナナを作ったことを記事にしました。
http://onesway.asablo.jp/blog/2019/12/23/9192852
その第2弾。薪ストーブ専門店、トリコノートさんからうかがった焼き芋レシピを紹介します。
これまでに何度か薪ストーブで焼き芋を作ったことはありました。が、焦げ過ぎたり、逆に中心部が硬かったりといい塩梅が難しく、最近はすっかり遠ざかっていました。
年末に薪のお礼に頂いたサツマイモがあったのでトリコノートさんレシピでの焼き芋に挑戦してみました。
薪ストーブは予め熾の状態にしておきます。
1)サツマイモを水で洗います。
2)新聞紙を水に浸して絞り、1)のサツマイモを包みます。
3)2)をさらにアルミホイルで包みます。
4)3)を薪ストーブの炉内、薪投入口近くに入れます。この時、熾を炉床の奥の方に移動させ、3)が直接熾に触れないようにすることポイントです。
5)待つこと40分、熱々のホッコリ焼き芋のできあがり!
※ 2)の濡れた新聞紙で包む点をトリコノートさんから教えていただきました。
実は夫同様私も、中学、高校とほぼ帰宅部でした。放課後は早々に家に帰って一人でお菓子を焼いたり、手芸をしたり、本を読んだり、自宅周辺でできるちょっとした運動(縄跳びやジョギング、サイクリングなど)をしたりと自由な時間を満喫していた部類です。
ですから、夫と共に里山暮らしができていのかもしれません。
■ 72の法則と時間割引率 by T ― 2020/01/14
地球温暖化問題を例にとっても、環境保護(エコロジー)と経済開発(エコノミー)は同じエコでも仲が良くありません。時に、僕も含めナチュラリストの間では経済活動を見下すことがあります。でも、たとえエコロジーな活動や事業であったとしても、採算の取れない事業というものは継続しませんし、社会からの投融資といった応援も期待できません。何事も奉仕精神や自己犠牲精神のみでは継続が困難です。僕は事業者ではなく、単なる里山暮らしのナチュラリストの一人でありますが、時々意識して(お金)に執着する感覚を刺激するようにしています。生き残るために。そこで、
もしもの話で皆さんに質問です。
「あなたは今日10万円もらえますが、来年の今日だったら11万円もらえます。あなただったらどちらを選びますか?」先ずどちらかを選択してから続きを読んでください。
現在、超低金利時代です。皆さん、「72の法則」をご存じですか?年利率で複利計算した場合、何年で元金が2倍になるかを見積もる計算です。
〈72÷年利率=元金が2倍になるまでの年数〉
たとえば最近の定期預貯金利率0、01%の場合は、元金が2倍になるまで7200年かかります。先ず自分が生存している見込みはありません。
ところが年利率3%のバブル時代だったら24年で2倍になりました。郵便局の定額貯金では8%の時代もありました。その時は9年で元金が2倍になりました。そんな時代を経験した方もおられると思います。僕もその一人です。良い時代だったですよね。
さて、再度質問します。あなたは今日10万円もらえますが、来年の今日だったら11万円もらえます。あなたはどちらを選択しますか?
どうですか?迷わず即決しましたか?それとも迷っておられますか?
■ 主体的な孤独は人を集める by T ― 2020/01/15
先日、富山県立大学の先生が、リフォームで薪ストーブを導入されるということで、我が家の薪ストーブライフを見に来宅して下さいました。仲介して下さったのは金山里山の会の会長さんです。一緒に来宅して下さいました。
薪ストーブはヨツールF600を導入予定との事。我が家の薪ストーブもヨツールF500ということで話が合いました。ストーブ炉内で蒸かした焼き芋を頂きながら楽しく歓談できました。
思い起こせば僕も25年近く前、当時僕は薪ストーブに憧れて、初対面の先輩薪ストーブ愛好家を幾人か訪問し勉強させてもらいました。長野県信濃川上村在住の田渕義雄氏を夫婦で訪問したのもその時です。
大方の薪ストーブ愛好家はひとり薪ストーブに魅了され、ひとり薪ストーブを研究し、ひとり薪ストーブを楽しんでおられました。隣近所や世間みんなが薪ストーブを焚いているから自分も流れに乗らなければという事例は皆無。当たり前と言えば当たり前ですけど。
ひとりコツコツ続けることは、孤独であっても決して孤立しません。その継続が有意味なことであれば必ず人が集まって来てくれます。
先日僕はブログで中学高校で部活動をしなかった記事を書きました。その自由な時間の中で、中学二年生の時、ひとり立山連峰の雄山に登山しました。ひとり列車に乗り、ひとり登山道を歩きました。すると翌年の三年生の夏休み、同学年の男子三人に一緒に立山に登ろうと誘われました。
部という集団に所属しない=孤立 という方程式は必ずしも成立しません。
過度に周りに忖度せず、自分の思ったことを貫く孤独に心配は不要です。
人間はひとり生まれ、ひとり去っていきます。生きている時も主体的に生きることがより良い対人関係を作っていくと確信しています。
仁は孤ならず 必ず隣あり 孔子
薪ストーブはヨツールF600を導入予定との事。我が家の薪ストーブもヨツールF500ということで話が合いました。ストーブ炉内で蒸かした焼き芋を頂きながら楽しく歓談できました。
思い起こせば僕も25年近く前、当時僕は薪ストーブに憧れて、初対面の先輩薪ストーブ愛好家を幾人か訪問し勉強させてもらいました。長野県信濃川上村在住の田渕義雄氏を夫婦で訪問したのもその時です。
大方の薪ストーブ愛好家はひとり薪ストーブに魅了され、ひとり薪ストーブを研究し、ひとり薪ストーブを楽しんでおられました。隣近所や世間みんなが薪ストーブを焚いているから自分も流れに乗らなければという事例は皆無。当たり前と言えば当たり前ですけど。
ひとりコツコツ続けることは、孤独であっても決して孤立しません。その継続が有意味なことであれば必ず人が集まって来てくれます。
先日僕はブログで中学高校で部活動をしなかった記事を書きました。その自由な時間の中で、中学二年生の時、ひとり立山連峰の雄山に登山しました。ひとり列車に乗り、ひとり登山道を歩きました。すると翌年の三年生の夏休み、同学年の男子三人に一緒に立山に登ろうと誘われました。
部という集団に所属しない=孤立 という方程式は必ずしも成立しません。
過度に周りに忖度せず、自分の思ったことを貫く孤独に心配は不要です。
人間はひとり生まれ、ひとり去っていきます。生きている時も主体的に生きることがより良い対人関係を作っていくと確信しています。
仁は孤ならず 必ず隣あり 孔子
■ AIに仕事を奪われる人 by T ― 2020/01/16
中村伊知哉氏の著した『超ヒマ社会をつくる』(2019)をしっかり読んでみたいと思う。
氏は述べている。18世期のイギリスで興った産業革命の時、蒸気機関といった新たな動力源の出現により、仕事を奪われる職人たちの間で社会不安が生じた。でもその後人々は紆余曲折ののち、なんやかんやと言いながら暮らしの中で機械生産による便利さの恩恵を受け入れてきた。
また21世期のIT革命時も、インターネット不要論やスマホ弊害論が展開されたが、やっぱり便利さに慣れ親しみ、人々は便利さという恩恵を受け入れつつある。
このように、便利さの恩恵によって従来の仕事における肉体的・精神的苦痛から人々は解放され、空いた時間を新たな仕事の創造によって埋めてきた。現在の第三次サービス産業隆盛時代はその証拠であろう。
だから氏は述べる。今後AI革命により、従来人間の行なっていた仕事がAIに奪われていったとしても、人間はその空いたヒマな時間を埋めるべく新たな仕事を創造していくであろうと。
だが僕は考える。蒸気機関、機械、石油動力源、IT、そしてAIと、歴史の中で人間は便利さの恩恵を受容してきてはいるが、一方で必ずその代償を支払ってきている。つまり世の中、便利なサービスというものは決してタダでは無いということだ。そして便利さの恩恵をより受容するということは代償(お金等の支払い)がより増えるということだ。
つまり、ヒマな時間を埋めるべく新たな仕事を創造していくという人間がいる一方で、便利さを享受したいがために、新たな代償を賄うべくヒマな時間をより忙しく働き稼がざるを得ない、そんな状況に追い込まれていく人間も生み出される、と僕は考える。
氏は述べる。
「私たちは長い間、仕事とは報酬を得るための苦行と自分自身に言い聞かせてきました。でもAIが仕事を代替してくれるなら、これまでの苦行から解放されるわけです。それならば、やりたいことを見つけて、それを仕事にすれば良い。娯楽やスポーツ、芸術活動や創作活動、勉強や学習でもよい。今後はもしかしたら周囲から見れば遊んでいるような働き方が生まれてくるかもしれません。」
そんな仕事を見つけられれば幸いのこと。しかしもし見つけられないならば、
AIに仕事を奪われる人とは、AIの恩恵を受けるための代償を稼ぐために、日々あくせく忙しく働かされ、報酬を得る代わりに苦痛の拘束を余儀なくされる人なのかも知れない。AIに仕事を奪われヒマになるのでなく、AIによって空いた人間的健康的文化的自由な時間を奪われる人なのかも知れない。
氏は述べている。18世期のイギリスで興った産業革命の時、蒸気機関といった新たな動力源の出現により、仕事を奪われる職人たちの間で社会不安が生じた。でもその後人々は紆余曲折ののち、なんやかんやと言いながら暮らしの中で機械生産による便利さの恩恵を受け入れてきた。
また21世期のIT革命時も、インターネット不要論やスマホ弊害論が展開されたが、やっぱり便利さに慣れ親しみ、人々は便利さという恩恵を受け入れつつある。
このように、便利さの恩恵によって従来の仕事における肉体的・精神的苦痛から人々は解放され、空いた時間を新たな仕事の創造によって埋めてきた。現在の第三次サービス産業隆盛時代はその証拠であろう。
だから氏は述べる。今後AI革命により、従来人間の行なっていた仕事がAIに奪われていったとしても、人間はその空いたヒマな時間を埋めるべく新たな仕事を創造していくであろうと。
だが僕は考える。蒸気機関、機械、石油動力源、IT、そしてAIと、歴史の中で人間は便利さの恩恵を受容してきてはいるが、一方で必ずその代償を支払ってきている。つまり世の中、便利なサービスというものは決してタダでは無いということだ。そして便利さの恩恵をより受容するということは代償(お金等の支払い)がより増えるということだ。
つまり、ヒマな時間を埋めるべく新たな仕事を創造していくという人間がいる一方で、便利さを享受したいがために、新たな代償を賄うべくヒマな時間をより忙しく働き稼がざるを得ない、そんな状況に追い込まれていく人間も生み出される、と僕は考える。
氏は述べる。
「私たちは長い間、仕事とは報酬を得るための苦行と自分自身に言い聞かせてきました。でもAIが仕事を代替してくれるなら、これまでの苦行から解放されるわけです。それならば、やりたいことを見つけて、それを仕事にすれば良い。娯楽やスポーツ、芸術活動や創作活動、勉強や学習でもよい。今後はもしかしたら周囲から見れば遊んでいるような働き方が生まれてくるかもしれません。」
そんな仕事を見つけられれば幸いのこと。しかしもし見つけられないならば、
AIに仕事を奪われる人とは、AIの恩恵を受けるための代償を稼ぐために、日々あくせく忙しく働かされ、報酬を得る代わりに苦痛の拘束を余儀なくされる人なのかも知れない。AIに仕事を奪われヒマになるのでなく、AIによって空いた人間的健康的文化的自由な時間を奪われる人なのかも知れない。
■ ラウンドアバウト(ロータリー)は里山から by T ― 2020/01/17

写真は、パリ郊外のモンスリーという小さな町にあったラウンドアバウト(ロータリー)です。ロータリーの内側には花壇植栽がなされており町の風景に溶け込んでいます。ちなみにこの写真は今から27年前の風景です。
先日、地域の交差点でクルマの衝突死亡事故がありました。見通しの良い田園の中の信号の無い交差点、一方には一時停止の標識がありました。
このような悲しい事故の無いよう、日本においても是非ラウンドアバウト(ロータリー)を導入すべきです。信号機設置業者の儲けは少なくなりますが、人間の命には変えられません。
ロータリーだと優先道路の有無に関わらず、すべてのクルマが必ずスピードを落として交差点に入る必要があります。うっかり一時停止を忘れたというミスを回避できます。
何よりもロータリーをクルマで走る時は、自分の判断に従って走るところがイイ。信号機だって機械。もしも壊れていたら・・。自分の命を守るのは、先ず自分から。
里山の田園地帯は、ロータリーのためのスペースが有り余るほどあります。交通量も少ないし、最適の条件です。
先日、地域の交差点でクルマの衝突死亡事故がありました。見通しの良い田園の中の信号の無い交差点、一方には一時停止の標識がありました。
このような悲しい事故の無いよう、日本においても是非ラウンドアバウト(ロータリー)を導入すべきです。信号機設置業者の儲けは少なくなりますが、人間の命には変えられません。
ロータリーだと優先道路の有無に関わらず、すべてのクルマが必ずスピードを落として交差点に入る必要があります。うっかり一時停止を忘れたというミスを回避できます。
何よりもロータリーをクルマで走る時は、自分の判断に従って走るところがイイ。信号機だって機械。もしも壊れていたら・・。自分の命を守るのは、先ず自分から。
里山の田園地帯は、ロータリーのためのスペースが有り余るほどあります。交通量も少ないし、最適の条件です。
■ ヒマを持て余しているヒマは無い by T ― 2020/01/18
この冬に伐られた竹を頂きに、知人の屋敷竹林へ行きました。
家主の知人は82歳。僕が訪れた時、知人はチェンソーを振り回し、伐り倒された竹を細かく切ってチッパー機にかける準備をされていました。
元気な歳の重ね方の秘訣は?と質問すると、
「誰かに何かを期待する年寄りはダメ。自分でするべきことが順番待ちじゃないといけない。だって若い時みたいに素早く動けなくなるんだから、年取るとやることが溜まってくるのが当たり前なんだ。それなのに、次は何をして時間をつぶせばよいか悩んでる老人はもう御陀仏。」
だそうです。確かにごもっともなことで。
話は変わって、東京麹町中学校の話。この中学校では宿題を廃止するなど、最近注目されています。校長先生曰く
「人間、与えられ続けると自分で責任を取らなくなる。与えられ続けると不満を言うようになる。与えられ続けると自ら行動しなくなる。」
だそうです。確かにごもっともなことで。
時間は工面して自ら作るもの、ヒマを持て余しているヒマは無い。
そんな風に僕には聞こえました。
■ 薪の暴落 by T ― 2020/01/19
積雪が全く無いと、里山の外作業が中断せず続きます。
外にいる時間が多くなると、薪ストーブを焚く時間が減少します。
暖冬で薪の消費が例年よりも少ないにもかかわらず、更に薪の消費が減少するという状況です。
積雪が全く無いので、冬の山道をランニングする時間も増えます。
すると更に外時間が増え、薪の消費が減少します。
こんなに積雪が無いと、立春前ですがボチボチ薪割りを開始しようかな?割っても薪置き場が満杯ですが、原木を玉切り状態までにして積んでおくことは可能です。
でも薪作り作業が始まってしまうと、更に外時間が増えて、益々薪の消費が減少しちゃうんですけどね。
石油価格の高騰といった悩みに比べれば、嬉しい悲鳴です。でも地球温暖化を考えると複雑な心境です。
■ おひつの話 by T ― 2020/01/20
我が家では、今でもおひつを使っています。ご飯をガスで炊いて、鍋からおひつに入れ替えます。木の香りがして冷飯になっても美味しいです。そんなもんだと思ってしまえば面倒だとは感じません。むしろ日常を丁寧に過ごす体感があります。
おひつを見ていると生命の不思議さを感じたりします。木は切り倒されてもなお生き続けているかのようです。乾くと木のおひつはスカスカになり、ご飯を入れれば適度に調湿してくれ、水を張るとおひつは膨張しほとんど水漏れしません。
それに対して、炊飯ジャーの場合、ご飯にテフロン臭がついたりするのが嫌いです。それ以上にビジュアルの問題です。炊飯ジャーを眺めるよりおひつを眺めている方がデザイン的にも気持ちが良いです。それは薪小屋に積まれた薪の山を眺めていると気持ちが良いですが、灯油のタンクを眺めていても全然面白く無いのとよく似ています。だから結婚して29年間一度も我が家には炊飯ジャーは存在しません。
どうせならば、日常目にする風景こそ気持ち良いものにしておきたいと思っています。