One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 「忙しい」を頻発する人種 by T2020/06/06

毎日がピクニック
ふと、昔のことを思い出しました。
大学生時代、僕はよく言っていた言葉を。「学生ほど忙しいという言葉の似合わない人種はいない」と。

ある後輩がいました。とても一生懸命に事に当たる後輩でした。その後輩が寸暇を惜しんで研究に取り組んでいる時、よく「忙しい忙しい」と口走っていました。その時僕は告げました。
「学生ほど忙しいという言葉の似合わない人種はいない。」

「もっと時間が欲しい」とか「したいことがたくさんあって嬉しい悲鳴」とかならカッコいい。でも「忙しい」と言うのは、自分はこんなに出来る人間だけど、自分で自分を自慢できないから「忙しい」という言葉に置き換えて他人の評価を得ようとしている、そんな印象を「忙しい」という言葉から匂ってくる。更に「忙しい」という言葉には、どことなく他律的にやらされている感というか、与えられ強制された課題をただこなすことしか能のない人間という感が僕にはありました。

一生懸命で好感の持てる後輩だったからこそ、僕は「忙しいと言うな」と忠告したのです。

「忙しい」と言う言葉の背景には、何もする事が無くなったらどうしようといった不安が感じられます。常に何かせねばならないことを与えられ、ウロチョロしていないととても不安、そんな不安の裏返しが「忙しい」と言う言葉、そう僕は思っていました。

時間を自らマネジメントし主体的に生きている人間は、たとえ秒刻みの多忙な日々であったとしても、表面的には堂々と落ち着いて、中には、然るべき時間にはしっかりコーヒーブレイクを挟みながらも着実に事を成し遂げているように感じます。(僕のことではありません) 何故なら自らの時間を主体的にマネジメントできる人間は、時間の貴重さをわきまえているため、無駄で衝動的な行ったり来たりの行動が少ないからです。

さて、コロナ自粛によって突然できたような空白の時間。学生も社会人もこの空白の時間をどのようにマネジメントしたか、格差の広がりはそんなところに一因があるやも知れません。自粛が解除されて多忙になりつつある現在、することが与えられホットしているか、はたまた自分でマネジメントできる時間がまだ続いて欲しいと感じているか、あなたはどちらですか?

ところで、かくいう僕は「忙しい」という言葉を頻発する場面があります。それは面倒くさいことを依頼してくる人に対して、面倒くさいことを断るために、「今は超忙しくて」と、本当によく言います。だから僕は超ヒマなのに「忙しい」を頻発する人種です。