■ 塩の道は自転車の道(その6:静かに牙を磨く) ― 2017/01/28

2014年7月に『月刊ニューサイクリング』誌に投稿した原稿です。その後、廃刊となり掲載されないままとなっていた内容をこのブログに掲載します。
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★ 静かに牙を磨く
常願寺川を渡り、富山市水橋へ入った。水橋は静かな漁村だ。しかし日本近代史を紐解けば、水橋は単なる一地方の慎ましやかな漁寒村ではない。そこは1818年(大正7年)、米騒動の発祥地。大正デモクラシーの一端を担った熱い地域だ。
第一次世界大戦による日本好景気、日本資本主義の発展、ロシア革命に伴うシベリア出兵を背景とした米価インフレーション。戦争で利を得る輩とは戦場から離れたところに居る輩というわけだ。米の流通に携わった者たちは、米を投機目的とし、地元への米販売を渋った。このようなインフレ好景気に対して、堪忍袋の緒が切れた民衆(女性が多かった)の実力行動が、ここ富山湾岸に端を発し、全国に波及、ついには時の寺内内閣を退陣に送り、平民宰相原敬内閣を誕生させた。
人間の考えや思いが本当に表れているのは、発せられる言葉ではない。選択した行動にこそ、その人間の真の思いが表れる。静かな水橋漁港のベンチに坐って、僕は休憩していた。夏の穏やかな海を眺めていると、1隻の漁船がエンジン音を響かせ漁から帰ってきた。昨今の円安好景気による原油価格の高騰インフレーションは、漁民達にとって重い負担となっているであろう。今は日々の生業を黙々とこなす。しかしただ寡黙に徹しているだけではない。それは静かに、そして孤独に牙を磨いているように僕には見えた。
ちょっと話題を変えよう。塩と聞いて思い出す歴史といえば、越後の上杉謙信が甲斐の武田信玄に塩を送ったとされる、云わば「敵に塩を送る」逸話を思い出す読者もいらっしゃると思う。しかし僕が思い出すのは、インド独立の父、マハトマ・ガンジーによる「塩の行進」である。
「塩の行進」とは、1930年、当時イギリスの植民地とされていたインドにおける塩の専売制に抗議した行動である。非暴力・市民的不服従を理念として、塩の自国自給と自国民の経済的自立を目指した市民運動であった。ガンジーらは380キロを徒歩で歩き、アラビア海に面したダーンディ海岸に辿り着いた。そこでガンジーは泥交じりの塩を掲げ、「インドの誇りは、この塩にあるのです。」と述べたとされる。これをきっかけに、インドにおけるイギリス支配は崩壊していき、結果インド独立につながったとされる。(※7)
僕は塩というものをただ単に生活必需品としてではなく、自立的な人間のシンボル、海洋国日本の自立的象徴としても捉えたいと思っている。
皆さん御存知のように、日本の食糧自給率はさんざんたる現状である。日本は砂漠地帯と違って猫の額ほどの土地であっても、雨水で作物が育つ温暖湿潤気候。ほんの最近まで食糧自給できていたのに(鎖国さえもしていたのに)、現在はできていない。
さらに僕の住んでいる富山県は、野菜の出荷率が全国最下位であり、県産の木材活用率が最下位レベル。海・野・山に恵まれているにもかかわらず、この有り様である。生きていく上で必要不可欠な食糧を、自ら進んで誰かに依存する傾向を強めているように僕には思えてならない。ひょっとしたら、この国はどこかの国の実質的植民地なのではないかとさえ思ってしまう。巨額債務と食糧依存で首根っこを掴まれ、支配を余儀なくされている国なのかもしれない。
一方で僕は、完全自給自足社会というものは空想の産物、プラトン流に言えばイデアの世界だとも思っている。現実にはあり得ない。縄文時代の人々だって遠い地域との交易活動を行なっていたそうだ。原始時代でさえも完全な自給自足社会ではなかったということである。ましてやグローバルな現代社会において、僕は極端な鎖国的自給自足社会の実現を求めない。
しかしだ。一人の人間として、一個人の日々の暮らし方として、僕は自給自足の方を向いたベクトルを常に心の中に持っていたいと思っている。ベクトルとは力の向きと力の大きさである。実際の行動が重要。世の中を憂うばかりであったり、理想や願いを他人事のように語ったりするだけに留まっていては何も変わらない。
ちっぽけな自分ひとりくらいが何かをやっても、世の中変わりようがないと思う虚無的な気持ちも分かる。でもベクトルは終着点を表しているわけではない。あくまでも力の向きと力の大きさを表しているのだ。そして力とはエネルギーすなわち生命力。何かを行動することが、すなわち生きているという手ごたえなのではないだろうか。
湾岸に沿って水橋の町屋が立ち並び、かつて地元の商店街が活気を帯びていた時代は、さぞ人通りが多かったであろうことを想像しながら僕は水橋を通り過ぎた。人の歩かない町は死んでいく。未来のソクラテスも生まれない。道は移動することだけがその目的ではない。道は懐古趣味に浸るだけではいけない。道は現在と近未来を大いに楽しむ空間だと思う。そうこうしているうちに、アクアポケットのある滑川市に入っていた。
※7 マハトマ・ガンジーによる、非暴力・市民的不服従の実践を裏付ける理論は、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの著作『Civil Disobedience(市民の不服従)』にあった。あの『ウォールデン-森の生活』の著者であるソローだ。自恃の精神を説き、自立的生活を実践したソローも、『森の生活』の中でこう述べている。
「食料品の中でも一番ありふれた塩に関して考えてみると、まずこれを入手したいと言えば、海岸に行けるうまい口実にもなる。」(佐渡谷重信訳 講談社学術文庫)
僕も塩にかこつけて、サイクリングしてきたというわけでした。
【写真説明】水橋の街道筋にて。小奇麗にされた伝統家屋の前で、野菜の販売がされていた。
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★ 静かに牙を磨く
常願寺川を渡り、富山市水橋へ入った。水橋は静かな漁村だ。しかし日本近代史を紐解けば、水橋は単なる一地方の慎ましやかな漁寒村ではない。そこは1818年(大正7年)、米騒動の発祥地。大正デモクラシーの一端を担った熱い地域だ。
第一次世界大戦による日本好景気、日本資本主義の発展、ロシア革命に伴うシベリア出兵を背景とした米価インフレーション。戦争で利を得る輩とは戦場から離れたところに居る輩というわけだ。米の流通に携わった者たちは、米を投機目的とし、地元への米販売を渋った。このようなインフレ好景気に対して、堪忍袋の緒が切れた民衆(女性が多かった)の実力行動が、ここ富山湾岸に端を発し、全国に波及、ついには時の寺内内閣を退陣に送り、平民宰相原敬内閣を誕生させた。
人間の考えや思いが本当に表れているのは、発せられる言葉ではない。選択した行動にこそ、その人間の真の思いが表れる。静かな水橋漁港のベンチに坐って、僕は休憩していた。夏の穏やかな海を眺めていると、1隻の漁船がエンジン音を響かせ漁から帰ってきた。昨今の円安好景気による原油価格の高騰インフレーションは、漁民達にとって重い負担となっているであろう。今は日々の生業を黙々とこなす。しかしただ寡黙に徹しているだけではない。それは静かに、そして孤独に牙を磨いているように僕には見えた。
ちょっと話題を変えよう。塩と聞いて思い出す歴史といえば、越後の上杉謙信が甲斐の武田信玄に塩を送ったとされる、云わば「敵に塩を送る」逸話を思い出す読者もいらっしゃると思う。しかし僕が思い出すのは、インド独立の父、マハトマ・ガンジーによる「塩の行進」である。
「塩の行進」とは、1930年、当時イギリスの植民地とされていたインドにおける塩の専売制に抗議した行動である。非暴力・市民的不服従を理念として、塩の自国自給と自国民の経済的自立を目指した市民運動であった。ガンジーらは380キロを徒歩で歩き、アラビア海に面したダーンディ海岸に辿り着いた。そこでガンジーは泥交じりの塩を掲げ、「インドの誇りは、この塩にあるのです。」と述べたとされる。これをきっかけに、インドにおけるイギリス支配は崩壊していき、結果インド独立につながったとされる。(※7)
僕は塩というものをただ単に生活必需品としてではなく、自立的な人間のシンボル、海洋国日本の自立的象徴としても捉えたいと思っている。
皆さん御存知のように、日本の食糧自給率はさんざんたる現状である。日本は砂漠地帯と違って猫の額ほどの土地であっても、雨水で作物が育つ温暖湿潤気候。ほんの最近まで食糧自給できていたのに(鎖国さえもしていたのに)、現在はできていない。
さらに僕の住んでいる富山県は、野菜の出荷率が全国最下位であり、県産の木材活用率が最下位レベル。海・野・山に恵まれているにもかかわらず、この有り様である。生きていく上で必要不可欠な食糧を、自ら進んで誰かに依存する傾向を強めているように僕には思えてならない。ひょっとしたら、この国はどこかの国の実質的植民地なのではないかとさえ思ってしまう。巨額債務と食糧依存で首根っこを掴まれ、支配を余儀なくされている国なのかもしれない。
一方で僕は、完全自給自足社会というものは空想の産物、プラトン流に言えばイデアの世界だとも思っている。現実にはあり得ない。縄文時代の人々だって遠い地域との交易活動を行なっていたそうだ。原始時代でさえも完全な自給自足社会ではなかったということである。ましてやグローバルな現代社会において、僕は極端な鎖国的自給自足社会の実現を求めない。
しかしだ。一人の人間として、一個人の日々の暮らし方として、僕は自給自足の方を向いたベクトルを常に心の中に持っていたいと思っている。ベクトルとは力の向きと力の大きさである。実際の行動が重要。世の中を憂うばかりであったり、理想や願いを他人事のように語ったりするだけに留まっていては何も変わらない。
ちっぽけな自分ひとりくらいが何かをやっても、世の中変わりようがないと思う虚無的な気持ちも分かる。でもベクトルは終着点を表しているわけではない。あくまでも力の向きと力の大きさを表しているのだ。そして力とはエネルギーすなわち生命力。何かを行動することが、すなわち生きているという手ごたえなのではないだろうか。
湾岸に沿って水橋の町屋が立ち並び、かつて地元の商店街が活気を帯びていた時代は、さぞ人通りが多かったであろうことを想像しながら僕は水橋を通り過ぎた。人の歩かない町は死んでいく。未来のソクラテスも生まれない。道は移動することだけがその目的ではない。道は懐古趣味に浸るだけではいけない。道は現在と近未来を大いに楽しむ空間だと思う。そうこうしているうちに、アクアポケットのある滑川市に入っていた。
※7 マハトマ・ガンジーによる、非暴力・市民的不服従の実践を裏付ける理論は、ヘンリー・デイヴィッド・ソローの著作『Civil Disobedience(市民の不服従)』にあった。あの『ウォールデン-森の生活』の著者であるソローだ。自恃の精神を説き、自立的生活を実践したソローも、『森の生活』の中でこう述べている。
「食料品の中でも一番ありふれた塩に関して考えてみると、まずこれを入手したいと言えば、海岸に行けるうまい口実にもなる。」(佐渡谷重信訳 講談社学術文庫)
僕も塩にかこつけて、サイクリングしてきたというわけでした。
【写真説明】水橋の街道筋にて。小奇麗にされた伝統家屋の前で、野菜の販売がされていた。