■ 塩の道は自転車の道(その7:水上の暮らしは彼岸を繋ぐ) ― 2017/01/28

2014年7月に『月刊ニューサイクリング』誌に投稿した原稿です。その後、廃刊となり掲載されないままとなっていた内容をこのブログに掲載します。
/////////////////////////////////////////////////
★ 水上の暮らしは彼岸を繋ぐ
海岸線から小さな川を300メートルほど入ったところに、数寄屋造りの建築物があった。国登録有形文化財指定の「廣野家」である。軽妙洒脱な町屋の山居が川面に映える。自然災害のリスクを考えると海岸線近くや川沿いに住まうことに抵抗感があるやも知れぬが、本来、数奇屋とは虚飾を嫌い、質素ながらも内面を磨いて自由に豊かに暮らすことを具現化した建築様式だと思う。
一大事の時はとりあえず逃げる、勇気を持ってすべて捨て去る。希望さえも勇気を持って捨て去る。そこには軽やかでこだわりがない。それはあたかも水のよう。そうなのだ。私たち富山人は、誰もが水上生活者。里山に住んでいても水上の暮らし。冬は雪の上に逞しく暮らし、夏は高温多湿な雨や風をやり過ごしながらおおらかに暮らす。快晴の日は極めて少なく常に霞がかかっている富山の風土。雪も雨も湿気も全て水の状態変化。外見上、陸に定住しているようで、心の中では流れるノマド(放浪者)だと自分自身を認識すれば、何となく心の重荷を降ろしたような気分になった。
家は漁村の番屋の如くありたい。潮風に晒され傷みが早い。でも痛んだら造り直せばいいのだ。津波が来たら退散し、波が引いたら造り直せばいいのだ。そんな心意気で常にありたいと思う。
アクアポケットに辿り着いた。
今日は定休日。誰もいない。誰もいない空間だからこそ僕はある人の気配を強く感じた。かつて僕は叔父に連れられ、アクアポケットを初めて訪れたのだった。
実は僕の塩作りにしても、自立的生活の勧めにしても、僕のオリジナルではない。それは私の叔父のオリジナル。かつて私には、塩を作る母方の叔父がいた。彼の生まれは富山県だが、大阪府高槻市という都会に、家族と共に住んでいた。そして、仕事の傍ら滋賀県朽木村という山中で野菜を作ったり、漬物を生産したり、そして塩も作っていた。彼は年に数回、アクアポケットに海洋深層水を買いに来て、たくさんのポリタンクに詰めていった。
10年余り前に「お前も塩を作ってみろよ。」と叔父に言われたのだが、当時僕は全く塩作りに興味が無かった。ただ叔父にしてみれば、自宅には薪が十分にあり、アクアポケットには車で約1時間という僕の状況は、塩作りに最適と映ったのだろう。
そんなわけで先述の通り、僕も塩作りを行なうようになっていったわけだが、その叔父は、3年前の2011年11月、突然他界した。原発事故による海洋汚染を心配しながら亡くなった。享年62歳。早すぎた死。まだまだやりたい事はたくさんあったろう。
僕は、叔父から塩作りを教わった。と同時に、実際に行動することの大切さを教わった。塩は誰でも作ることができる。別に塩でなければならないというわけではない。野菜だってどこでも育つ。ちなみに先述の叔父はテニスが趣味で、若い時、会社のテニスコートの片隅で野菜を育てていた。
僕の話は、全生活をつぎ込んだ環境活動でも何でもない。ただ単に週末等に塩を煮詰めるだけの穏やかで力まぬ行動。でも、そんな軟弱で軽妙な行動であるからこそ、持続可能な行動ではないかとも思う。
別に自給自足の生活をしなくてもいいのだ。はたまたビジネスや起業活動でなくてもよい。大きな環境活動でなくてもいいのだ。毎日の暮らしの中で、自恃(じじ:自分をたのみとすること)の精神を胸に行動するだけで、自分が生きているという実感が湧いてくるのではないだろうか。自分に与えられた人生の大切な時間が生かされているという感覚に見舞われるのではないのだろうか。
皆さんも、あなた流の塩作り、否、あなた流の自恃な暮らしはいかがですか?オッと話がかなり逸れてしまった。これはあくまで自転車雑誌のテクストだった。
最後に、自分で生産したモノには消費税が掛かりません。生産と消費は正反対です。10パーセントに増税されても心配無用です。自転車にガソリン税が掛からないのと同様に心配無用。(了)
【写真説明】川面に映える廣野家(富山県滑川市)。「アクアポケット」まではあとわずか。
/////////////////////////////////////////////////
★ 水上の暮らしは彼岸を繋ぐ
海岸線から小さな川を300メートルほど入ったところに、数寄屋造りの建築物があった。国登録有形文化財指定の「廣野家」である。軽妙洒脱な町屋の山居が川面に映える。自然災害のリスクを考えると海岸線近くや川沿いに住まうことに抵抗感があるやも知れぬが、本来、数奇屋とは虚飾を嫌い、質素ながらも内面を磨いて自由に豊かに暮らすことを具現化した建築様式だと思う。
一大事の時はとりあえず逃げる、勇気を持ってすべて捨て去る。希望さえも勇気を持って捨て去る。そこには軽やかでこだわりがない。それはあたかも水のよう。そうなのだ。私たち富山人は、誰もが水上生活者。里山に住んでいても水上の暮らし。冬は雪の上に逞しく暮らし、夏は高温多湿な雨や風をやり過ごしながらおおらかに暮らす。快晴の日は極めて少なく常に霞がかかっている富山の風土。雪も雨も湿気も全て水の状態変化。外見上、陸に定住しているようで、心の中では流れるノマド(放浪者)だと自分自身を認識すれば、何となく心の重荷を降ろしたような気分になった。
家は漁村の番屋の如くありたい。潮風に晒され傷みが早い。でも痛んだら造り直せばいいのだ。津波が来たら退散し、波が引いたら造り直せばいいのだ。そんな心意気で常にありたいと思う。
アクアポケットに辿り着いた。
今日は定休日。誰もいない。誰もいない空間だからこそ僕はある人の気配を強く感じた。かつて僕は叔父に連れられ、アクアポケットを初めて訪れたのだった。
実は僕の塩作りにしても、自立的生活の勧めにしても、僕のオリジナルではない。それは私の叔父のオリジナル。かつて私には、塩を作る母方の叔父がいた。彼の生まれは富山県だが、大阪府高槻市という都会に、家族と共に住んでいた。そして、仕事の傍ら滋賀県朽木村という山中で野菜を作ったり、漬物を生産したり、そして塩も作っていた。彼は年に数回、アクアポケットに海洋深層水を買いに来て、たくさんのポリタンクに詰めていった。
10年余り前に「お前も塩を作ってみろよ。」と叔父に言われたのだが、当時僕は全く塩作りに興味が無かった。ただ叔父にしてみれば、自宅には薪が十分にあり、アクアポケットには車で約1時間という僕の状況は、塩作りに最適と映ったのだろう。
そんなわけで先述の通り、僕も塩作りを行なうようになっていったわけだが、その叔父は、3年前の2011年11月、突然他界した。原発事故による海洋汚染を心配しながら亡くなった。享年62歳。早すぎた死。まだまだやりたい事はたくさんあったろう。
僕は、叔父から塩作りを教わった。と同時に、実際に行動することの大切さを教わった。塩は誰でも作ることができる。別に塩でなければならないというわけではない。野菜だってどこでも育つ。ちなみに先述の叔父はテニスが趣味で、若い時、会社のテニスコートの片隅で野菜を育てていた。
僕の話は、全生活をつぎ込んだ環境活動でも何でもない。ただ単に週末等に塩を煮詰めるだけの穏やかで力まぬ行動。でも、そんな軟弱で軽妙な行動であるからこそ、持続可能な行動ではないかとも思う。
別に自給自足の生活をしなくてもいいのだ。はたまたビジネスや起業活動でなくてもよい。大きな環境活動でなくてもいいのだ。毎日の暮らしの中で、自恃(じじ:自分をたのみとすること)の精神を胸に行動するだけで、自分が生きているという実感が湧いてくるのではないだろうか。自分に与えられた人生の大切な時間が生かされているという感覚に見舞われるのではないのだろうか。
皆さんも、あなた流の塩作り、否、あなた流の自恃な暮らしはいかがですか?オッと話がかなり逸れてしまった。これはあくまで自転車雑誌のテクストだった。
最後に、自分で生産したモノには消費税が掛かりません。生産と消費は正反対です。10パーセントに増税されても心配無用です。自転車にガソリン税が掛からないのと同様に心配無用。(了)
【写真説明】川面に映える廣野家(富山県滑川市)。「アクアポケット」まではあとわずか。