One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 1円を軽んずる者は by T2020/09/01

安倍のマスク
昨日のブログで、新しい煙突への投資について書きました。殆どの人が支出することの無い買い物でしょう。でも我が家では必要な納得済みの支出です。

では、殆どの人が支出する買い物といえば、最近はマスクでしょうか。
でも私たち夫婦は、コロナ対策としてマスクを購入したことは今のところありません。僕が使用しているマスクは、妻の手作りマスクとハンカチマスクとアベノマスク。洗濯してずっと使い続けています。

特にアベノマスクは、当の安倍前首相よりも僕の方が長く今でも使い続けています。国民の血税(血国債?)でもって頂いたアベノマスク、いろいろな意見はございますが、やっぱり大事に使おうかな。

使い捨てマスク一枚の値段なんてたかだか・・。
いえいえ、1円を軽んずる者は1円に泣く。塵も積もれば山となる。

支出という行為は自分自身を見つめて行う行為であって、隣人や世間を見つめて行う行為でない。自分にとって必要度の高いモノに支出し、自分にとって必要度の低いモノには一切支出しない。と、巷の億り人(おくりびと)の方々は、皆口を揃えておっしゃっているようです。

僕もそんなスタイルを模倣させていただきます。

■ 冬に向けて by T2020/09/02

冬野菜用の畝
9月に入り冬野菜用の畝作りをしました。

場所は先週までカボチャの蔓葉が縦横無尽に蔓延っていた場所です。カボチャを撤去すると、そこには大方出来上がっている冬野菜用畝が現れました。カボチャ蔓が広がる前の6月17日より、既に腐葉土、ボカシ堆肥、木灰等をすき込んで大方冬野菜用畝を作ってありました。

昨日、鶏糞、木酢液などを撒いて耕運機をかけました。

先日までとは打って変わり、朝の空気が涼しく感じられました。台風によるフェーン現象や悪天候になる前に畝を完成させて、いつでも種まきできるよう準備しようと思っています。

■ どこへ行けるかではなく、どこにいるか by T2020/09/03

KAKIのダイニングテーブル
群れをなすのが好きな人もいれば、一人で過ごすのが好きな人もいます。
どちらが良くてどちらが悪いわけでなく、趣向性の問題です。

孤独にマイナスイメージを持つ人もいますが、ただ現在のコロナ禍にあって、時代はどちらかと言うと孤独な人の方に順風が吹いているように感じます。

僕みたいに大勢での旅行や宴会があまり好きでなく、コロナ以前から我が家を中心に家族と過ごすことの好きな人間にとっては、正に追い風良好。結婚生活29年を通じて、家や家具など日常頻繁に接する身の周りのアイテムにコツコツ投資してきた成果が、今花開き始めたかのようです。

例えばこのダイニングテーブル。1991年に夫婦で半分ずつお金を出し合って購入したKAKIのオーダーメイド。金額は当時で約45万円でした。シベリア産のベニマツで作られた無垢材のテーブルは、現在ベニマツが希少価値になりつつあるようですが、それ以上に時間を経て赤みを増した姿は私たちにとって唯一無二の存在です。

どこへ行けるかではなく、どこにいるか

身の回りにこそ贅沢な投資を。敢えてステイホームを合言葉とする必要もなく、ずっと昔からステイホームを当たり前としてきたライフスタイルでした。

■ 足るを知らねば生きていけない by T2020/09/04

白百合
田舎はクルマが無いと生活できないとか、近くにスーパーが無いから不便とか、しまいには信号機が無いから田舎は嫌いという人さえいます。とにかく無いものを挙げればキリがありません。

現在、日本国籍保持者ならば「居住・移転・及び職業選択の自由」を有する権利が保障されています。自分の住んでいる場所に不満を並べるくらいならば、一度きりの人生、いっそのこと自分の住みたい場所に引っ越せば良いのに、と思ったりします。

確かに居住地を移転するのは大変エネルギーのいることです。だから往々にしていろいろ理由を並べては「移転しない自分」を「移転できない自分」に合理化しがちです。その気持ちは分かります。ならばこそ、せっかく住んでいる場所の無いことをあげつらうより、在ることを楽しんだ方がお得だと思うのですが、皆さんどう思われますか?

安直な「住めば都」という言葉は、正直言って嫌いです。ただ運命を受け入れるだけの消極性を感じるからです。自ら運命を切り拓いた結果、終の住処に辿り着いたと思いきや、現実世界には100%満足できるような理想郷など存在しない。その事実を知った時、足るを知るというより、足るを知らねば生きていけないことを知る。そして初めて「住めば都」という言葉に落ち着く。そんな深い「都」に僕は憧れます。

僕にとって金山里山は「都」です。

■ 風景の成り立ち by T2020/09/05

ガラス作家、本郷仁氏の個展に行ってきました。タイトルは「風景装置」

風景装置

鏡に映る自分、鏡が反射する光、その鏡が刻一刻と移動し、自分自身の視点も刻一刻と移動する。それらが複雑に絡み合って自分の眼に映る世界が変化する。世界を眺めているのは自分なのだが、その自分自身も風景を作り出している客体表象の一部になっている。そんな世界に導いてくれる「風景装置」。

日頃私たちはよく口走ります。「田舎の田園風景はいつ見てもキレイ」「里山の雑木林は軽井沢にいるみたい」「やっぱり自然の中が一番」「子育てや教育は自然の中に限る」などなど。

言いたいことは分かります。でも一方で、何となくうわべを撫でただけのような薄い感覚も否定できません。何故なら風景は見られる側で私は見る側、自然は自然で人間は人間、そこには分断する壁があるような言葉の響きだからです。

本郷仁氏の「風景装置」は、そんな分断の壁を取り除き、自分自身も自然風景を作っている重要な要素であることを示唆してくれました。

例えば、外出する際どんな衣服、帽子、靴などを着用するか、家の前庭にどんな植栽を施し手入れはどうか、道路や側溝にゴミを捨てるか否か、あるいはゴミを拾うか、どんな車種のどんな色のクルマを走らせ、そのクルマは綺麗か汚れているか、あるいは敢えてクルマを使わず、歩いたり走ったり自転車に乗ったりするか、どんな話し声や音を周囲に発するか・・などなど、全てが風景を作っていく。

普段の日常で自分自身がどう行動するかによって風景を作り風景が変わっていく。自分自身がどう考えるかによって風景が違って見えてくる。

自分はたった一人のちっぽけな存在、でも自分の身の処し方ひとつで、自分の住んでいる里山の風景は上高地にもなり、軽井沢にもなり、ダウンタウンにもなり、そしてスラム街にもなり得る。

世界を変えたいなら先ず自分を変えること。「風景装置」からそんなメッセージを感じました。

■ そこにあるだけで by T2020/09/06

木があるだけで
先日、地域の中学生・高校生に地元金山地区をより良くするアイデアを募集する企画が実施され、作文及び絵画が集まりました。

その中で、ある高校生の書いた作文に僕は(妻も)注目しました。このようなことが書かれていました。
「小さい頃、森の中に秘密基地を作りました。木があるだけで秘密基地感が増しました。,・自然というものは、そこにあるだけで楽しませてくれます。」

何も作為を施さない、敢えてそのままを維持するといった立派なアイデアだと思いました。

大人は経済的・環境的観点から、既存の自然に手を加えようとします。まるで何もしないことは人間の敗北を認めるかのように。

大人は、何もしないこと=荒れる、と認識します。荒れるとイノシシやクマなど野生動物が出没しやすくなると言います。でも確固としたエビデンスに基づいて論ずる大人に僕は出会ったことはありません。

縄文時代、鬱蒼とした暗い常緑広葉樹林帯の西日本と、木漏れ日射す落葉樹林帯の東日本とでは、東日本の方が人口が多かったそうです。何故なら野生動物や木の実など食糧が豊富だったからとされます。一方、西日本の鬱蒼とした暗い、つまり現代の大人が荒れた森と認識する環境の方が食糧としてのイノシシも少なかったのかも知れません。

ともあれ、そこにある無為自然の意味を看破した若者の感覚に、大人の僕は敬意を評したいと思います。

■ 私たちの時代は by T2020/09/07

風景装置
先日、年配の女性方と話す機会がありました。その際ある人が
「私たちの時代は、男性が台所へ入ることがなかった。」とのこと。

「男子厨房に入らず」確かにそれが多数派であったかもしれません。でも、ふと「私たちの時代の人」と一括りにしていいのか?と思いました。当時においても台所仕事を積極的に行っていた進歩的男性が少数でもいたのではないかと。

その証拠にその後妻の実家を訪れると、80代の義父は一人で昼食の後片付けをして、にわか雨の降る前に洗濯物も取り込んでいました。ちなみに義父は自分でミシンをかけマスクを作ります。

違いの要因は一人称で考えて行動できるか否かであると推察します。

皆がそうしているから自分もそうするといった姿勢は、傾向として自分の頭で考えていない場合が多いと思われます。確かに熟慮した結論が時代の風潮に合致したものという場合もあるかもしれませんが、でもそのような場合なら「私たちの時代の人は」という複数主語の言い出しにはならず、「私は」と一人称で根拠を提示されるはずです。

自分の頭で考えることは面倒でエネルギーのいることかもしれません。時には世間から特別視されるストレスがあるかもしれません。でも風潮に流されず、勇気を持って自分の頭で考える努力が、例えば人種差別や男女格差など根拠の不明瞭な社会的不条理を取り除いてくれるのではないかと考えます。

「私たちは」とか「私たちの時代は」といった言葉で思考をストップせず、「私は」という一人称で話し始める癖をつけて、これから僕も自分の頭で考える習慣を身につけようと思っています。

■ するかしないか by T2020/09/08

ソローキャビン
先日のウェブ記事で、11歳の少女が貯金で中古のキャンピングカーを購入して自分のための空間を作ったという記事を読みました。アメリカニューヨーク州アッティカに住むローレン・ネルソンさんです。
https://www.businessinsider.jp/post-219178

貯金400ドルで中古のキャンピングカーを購入し、両親がコロナで中止になったサマーキャンプイベント用費用500ドルを出資して、それをリフォーム費に使ったとのことです。

きっかけは、コロナでロックダウン(都市封鎖)される中、ローレンさんは家族が所有する土地に要塞もしくはクラブハウスを作りたかったということです。

更に凄いのは、キャンピングカーをお茶会等に貸し出し50ドルを稼いでおり、将来的にキャンピングカーを大学キャンパス近くに移動させ寮として貸し出すといったビジネスプランを持っているそうです。

11歳のローレンさんの言葉が印象的です。
「自分が成長したような気がします。」

以前、金山里山活用のために、森の中に道を作り小屋を建ててクラブハウスを作ってみてはどうかと、僕は富山県立大学生に勧めてみたことがありますが、今のところ動きは見られません。

ローレンさんは11歳で自分の家を持ちましたが、そんな欧米先進国と異なり、日本では親世帯子世帯同居が多く見られます。それが引きこもり人口を増やしている一つの背景でもあります。

引きこもりのための要塞を独力で作るくらいのレベルになれば、アッパレ堂々とした引きこもりとして、僕は脱帽・称賛するでしょう。

■ エシカル投資 by T2020/09/09

理想の煙突

先日、煙突交換工事費を支払うために、薪ストーブ専門業者「トリコノート」さんのお店へ行きました。キャッシュレスとポイント還元の時代に、敢えて現金揃えて行きました。

理想の煙突実現のためにコツコツ先取り戦略で確保していた資金だったので、愛娘を嫁がせるような祝福の気持ちで、大事に心を込めて支払ってきました。

このお金が、富山県の薪ストーブ業界の良質な発展に寄与してくれることを願っています。消費者はその消費行動如何によって良質な業者を育てる力になり、巡り巡って消費者自身に恩恵を還元してくれると考えます。

株式投資にも同様のことが言えるでしょう。本来の企業価値よりも低い株価として評価されている良質で価値の高い企業に対し、長期投資によって企業資産を下支えし、企業を発展させ、社会の幸福度を上げ、結果として投資家本人にも恩恵が返ってくる。

エシカル(ethical)とは倫理的、道徳的という意味。法律による強制力が無くても自らの良識に従って行動すること。エシカル消費(エシカル投資)とは良識的な消費行動によって社会の悪を抑制し善を助長すること。

お金に執着することは汚く恥ずかしいことではありません。僕はお金が愛娘のように大好きです。(愛娘を育てた経験はありませんが)
お金を気持ち良く育て、気持ち良く社会に嫁がせたいと思っています。

■ 初もの栗 by T2020/09/10

初もの栗
先日の9月9日、妻が庭で栗を発見しました。今年の初ものです。

妻が言うには、昨年の9月9日のブログ記事には初もの栗の話題が書かれていたので庭を探したところ発見!とのこと。これからしばらく栗の収穫を楽しむことができます。

畝作りや施肥などいっさい手を加えなくとも、毎年実をつけてくれるクリの木、本当に有難いことです。

しかしながら、どんな食べ方を選んだとしても、クリを食べるには皮を剥く手間を避けることができません。皮を剥かねばならないなら、お菓子屋さんでモンブランケーキを買って食べた方がいいと思う人もいるでしょう。(僕もその一人)

昨今は便利な世の中で、食べたいと思えば直ぐに食べることができます。直ぐに欲求を満たすことができるのが現在です。でもそれが現代人の大きな苦悩の原因でもあります。

全ての依存症に共通していることは、直ぐに欲求を満たすことのできる行為であることです。アルコール依存症は酒を飲むことで直ぐに酔うことができる、買い物依存症は買い物すると直ぐに手に入る、スマホ依存症やゲーム依存症はプレイすれば直ぐに楽しくなる・・。それに対し勉強依存症や料理依存症、栗の皮むき依存症というのは聞いたことがありません。直ぐに効果や結果が現れない行為だから依存症にならないのです。

直ぐに満たされるモンブラン・スイーツ依存症にならないために、僕もせっせと天然栗の皮むきをしようかな。