■ STONE FREE-その5:石動山曼荼羅- ― 2017/09/23
今は廃刊となっている『月刊ニューサイクリング』誌の2013年10月号に掲載された作品です。
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◆石動山曼荼羅

石動山の山頂を大御前(おおごぜん)と呼ぶ。標高565メートル
石動山は、時の政治的力関係の中で幾度となく栄枯盛衰を繰り返してきた。室町南北朝の対立から越中守護普門利清によって全山焼き討ちにされた。それでも石動山は復活した。天平寺と呼ばれる北陸の有力寺院として。しかし約250年後には、本能寺の変をきっかけとして石動山合戦が勃発した。後に加賀国百万石の基礎を築いた前田利長は、石動山の院坊に悉く火を放ち、一宇残らず灰と化した。仁王門の左右には石動山側千六十人もの首が晒されたという。この石動山合戦の際、僧兵般若院快存の奮闘が特筆される。彼は大剛の者で全身矢を受け討ち死にした。正に今弁慶!

石動山の原生ブナ林。石動山が禁断の聖地であることが、ブナ林を乱開発から守った
江戸時代になり、それでも衆徒達は再興を試み復活する。あたかも築いては崩し、また築いては崩す曼荼羅の世界のように。何かを完成させることが目的ではない。また反対に破壊することが目的でもない。生滅循環すること、終着点など存在せず、何処かに執着することなく繰り返すこと、そのプロセス自身の中に生の正体が宿っている、そのように僕には思えてくる。繰り返すためのエネルギーそのものが、生の正体であり、生きている証拠なのだ。

仁王門跡
明治時代になって、神仏分離令が発せられるや否や、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の中で石動山は瓦解する。現在は数軒の住民が住まう超過疎地である。しかし石動山の史跡発掘や重要建築物の再建及び整備・保存が、少しづつ進行中である。生滅を繰り返す石動山曼荼羅の世界に、僕も繰り返し繰り返し、今後もバイクで上ってくるであろう。自分で定めた日課と行動規範に従って。
同じような繰り返しではあるが、少しずつ僕自身は変化し、石動山の史跡発掘や整備も進行して行くに違いない。それでいい。それでいいのだ。無常の虚無感を越えたところに、巨岩以上の硬さと強さが待っていると僕は感じる。最後にカミュ作『シーシュポスの神話』から引用して中締めとする。
「頂上を目がける闘争ただそれだけで、人間の心をみたすのに充分たりるのだ。いまや、シーシュポスは幸福なのだと想わねばならぬ。」
▷追記
タイトル及び小題の「STONE FREE」は、ジミ・ヘンドリックスの曲名から引用しました。
▷参考文献
『国指定史跡 石動山』石川県鹿島町発行・2004
『シーシュポスの神話』A.カミュ著・清水徹訳 新潮文庫・1969
(了)
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お読みいただきありがとうございました。