One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 当選率1/8! by M2019/06/22

当選!
TOKYO2020観戦チケット、夫と私とで2セッション、計4枚当選しました。

申し込んだチケットは自転車競技トラックの全7セッション各2枚を夫と私それぞれが申し込みました。プラス私は実家の両親がリクエストしたバスケットボール(男子)の決勝と水泳決勝各1セッション2枚づつの計16セッション32枚。

当選したのは夫と私、それぞれ自転車競技1セッションずつでした。幸いにも当選した日は違っていたので購入することに。

富山から静岡は同じ中部地方なのですがアクセスが悪く車で6時間近くかかります。こんなことでもなければ行くこともない場所。会場の伊豆ベロドロームに夫は一度行ってみたかったようですから良い機会になりそうです。

次は先着順の発売にも挑戦して1日でも多くのチケットの購入に挑戦する予定です。

■ 自転車通勤 by T2019/04/12

妻のミキスト車

「田舎の人は安直に車移動する」と時々揶揄されます。

その通りです。悔しいけど二の句もない。

都会の人の方がよく歩いている。悔しいけど都会人の方が健全です。

田舎は綺麗な空気、美しい風景があるにもかかわらず、車で通り過ぎる。

確かに都会と田舎では公共交通機関の充実度に差はあるでしょう。でも以下の事はどう理由付けできますか?

小学校の運動会や学習発表会にさえ車で行く田舎の大人の存在。
小学校ですよ!小学一年生が徒歩通学する小学校に車で行く田舎大人の存在。

話は変わりますが、本日より妻は月に2日、地域のコミュニティセンターのお手伝いをすることになりました。妻は自転車で通うそうです。

妻の自転車はフルオーダーフレーム(いわゆる御仕立てフレーム)。1970年代イタリアカンパニョーロ社製造の変速機及び1980年代日本シマノ社デュラエースのクランク及びハブがセッティングされています。変速機は1987年沖縄国民体育大会自転車ロードレースにて僕が使用したもの。クランクは僕が九州一周等日本各地を自転車ツアーした時に使用したもの。

万が一、車運転中に妻の自転車にぶつかろうものなら、対物賠償はちょっとした車並みの金額が査定されていますので、横を通る際には十分お気をつけ下さい。

車の運転は事故賠償のリスク大。歩くのが一番安心で賢い選択。

■ もう飽き飽きした by T2018/11/07

一歩大人の自転車に近づいた
僕の唯一の自転車には、変速機が無い。4年ほど前に、僕はわざわざ高いお金を出して変速機の無いシングル固定ギアのフレームを作ってもらった。フレームビルダーは上野茂氏(富山サイクリングセンター ROMAN)。

学生時代から自転車レースやロードトレーニングを走り、さんざんギアチェンジした。そしてレースを走らなくなった時つくづく思った。
「変速にもう飽き飽きした。」

それが変速機無しの理由。すると不思議なことに自由な開放感を強く感じるようになった。たった一枚しかギアが無いのに!上りは重たく下りは足の回転を止めることができないのに!

ひょっとしたら、自由とは限られた条件の中でリアル感を持つのかもしれない。

ともあれ小賢しい変速機を排したことによって、一歩大人の自転車に近づいた。

■ 自転車の不思議 by T2018/07/19

シングル固定ギアのスポルティフ
僕がロードバイク(レース用自転車)に乗り始めた30年以上も前に比べて、現在は爆発的にロードバイク人口が増えた。しかし、自転車レース参戦人口は横ばい若しくは減少傾向だと、僕の通っているスポーツ自転車専門店「富山サイクリングセンター」店長の上野茂氏が述べていた。

レース用自転車人口が爆発的に増加しているのに、レース人口が横ばい減少ということは、レース用自転車で非レースつまりサイクリング等を楽しんでいる人が極めて多いということであろう。

僕が30年以上も前にロードバイクに乗り始めた理由は、自転車レースを走るためだった。現在僕は自転車レースを走らない。よって現在の僕はロードバイクに乗らない。代わりにレース用自転車でなくサイクリング用自転車に乗る。カテゴリーで言うとスポルティフ(仏:スポーツ快走車)に乗る。写真の自転車が僕のスポルティフだ。スポルティフにレース用と同じ径のタイヤをセッティングしているので、結構スピードが出る。レースに出るわけでないので変速機の無いシングル固定ギア。それで充分楽しめる。

そもそもロードバイクというものはサイクリングに不向きだ。当然通勤にも不向きだ。ロードバイクはレース用なのでフレームが固く疲れる。フェンダー(泥除け)が無いので雨が降ると衣服が汚れる。ちょっとした荷物すら載せられない。ライトや反射鏡も無い。それにロードバイクは概して派手だ。50歳代にはダンディさに欠ける。

そんなロードバイクなのに、レースにエントリーしないのに、サイクリングや通勤にロードバイクに乗る人が多い。車で言うと長距離ドライブにF1カーを使用するようなものだ。好みの問題と片付ければそれだけだが、なんとも不思議なことだ。

雨の日に衣服を泥だらけにして、ザックを背負って背中に汗をかき、ロードバイクでサイクリングする。そんな人がいても確かに悪くはない。しかしみんな一様と言うのが不思議で、しかも怖ささえ感じる。老若男女を問わず、同じ様なスローピングフレームの派手なロードバイクが極めて多すぎる。

なんとも日本の自転車の不思議であると思いませんか?

■ 無関心な健康社会 by T2018/06/26

ツール・ド・フランス1993
僕たち夫婦はサッカーワールドカップの試合中継やTVニュースを見ない。その理由はこういうことだ。

誰かが必ず結果や試合内容を教えてくれるから。

聞こうともしていないのに、情報は否応なく半ば強引に入ってくるのだ。それならば、貴重な自分の時間を割いてまで自ら積極的に情報を得る必要はないだろう。その時間を他のことに費やしたほうが自分にとって生産的だ。例えばマラソンのインターバルトレーニングをしたり、バッハのマタイ受難曲に関する理解を深めたり、庭の常緑樹の剪定をしたり(今が常緑樹の剪定時期)・・。それが近代社会の分業化というものだ。

年齢を重ねれば重ねるほど、自分に残された時間も貴重になってくる。純粋に僕はその限りある時間を本当にやりたいことに使いたいと思う。

1982年、サッカーワールドカップ、スペイン大会。当時僕は高校生。深夜TV中継されていた当時フラメンゴ所属のジーコやソクラテスなどブラジル黄金カルテットの試合を見ていた。当時日本におけるサッカーはマイナースポーツで、多くの人が巨人軍と千代の富士に注目している時代だった。次の日サッカーの話を一緒にできる人は稀だった。

それが今はどうだろう。僕より年上で、本田圭佑のプレーに関する話はできるけれど、西ドイツチーム、ピエール・リトバルスキーのプレーをリアルタイムで果たして観ていたのだろうか?いつからサッカーを観るようになったのか?観るようになったキッカケは何なのか?みんなが観だしたからか?

別に自慢しているわけではない。僕の言いたいことはこういうことだ。

多数派、少数派に限らず、自分が本当に好きなことをやれば良いわけで、大衆に流され迎合し、自分の欲求そのものさえも周囲にコントロールされるなんてたまったもんじゃない、ということだ。ただし自分が本当に好きなことが認識されているならば。

ちなみに僕はサッカーに興味がない。サッカー熱(サッカービジネス)が頂点に達している現在だからこそ、この瞬間、「全くサッカーに興味がない」と断言できる社会がとても健康的だと考える。

話は変わるが、1993年7月、僕たち夫婦はフランスを旅した。自転車レースであるツール・ド・フランスを観戦するために。でも多くのパリジャン、パリジェンヌたちはさほどツール通ではなかった。当時とてもカルチャーショックを受けた。フランス人ならみんなツールに興味を持っているものと思っていたから。

しかし思えばそれが平和であり成熟した社会なのかもしれないと思った。皆がブレずに一様に同じ方向を向いていて、よそ見をすることが全く許されない社会こそ、本当に怖い社会なのかもしれないと強く思った。

写真は1993年のツール観戦におけるもの。

■ カスクの話 by T2018/06/25

ヴィンテージカスク
cask(カスク)とは、ウイスキーを熟成させるためのオーク樽のことです。ウイスキーの定義が①穀物を原料にしていること、②蒸留酒であること、そして③樽熟成されたことの3点であることから、いかにカスクがウイスキーにとって重要であるかが分かるでしょう。樽によって熟成されるものは時間だけではなく、独立精神といった密造の歴史も含まれています。

僕はそんなウイスキーが大好きです。そして自転車も大好きです。

最近スポーツ自転車に乗るサイクリストをよく見かけるようになりました。僕がスポーツバイクに乗るようになった30年以上も前には、ほとんど見かけませんでした。たまに見かけるサイクリストはほとんど顔見知りでした。

最近のサイクリストはエイリアンに似たヘルメットを被っています。でも僕は30年以上も前からcasque(カスク)と呼ばれるソフトシェルのヘッドギアを被ることが多いです。偶然かもしれませんが、カスクの形状は樽を横から見た形に似ています。

写真は現在も愛用しているイタリア・ロジェーリのカスク(黒、補修の黄色革)とチネリカスク(白)です。共にヴィンテージもので、僕のサイクリストとしての歴史が熟成されています。

■ アイルランドの思い出_2016春 3日目:ガラスの街ウォータフォード by M2018/05/17

2016年4月7日(木)

この旅で初めて訪れたウォーターフォードは、Suir川の河口にある港町です。前日に観光の目玉、ウォーターフォードクリスタルを見学したので、この日はブラブラと街歩きをしました。

旅行中の1日はランニングで始まります。この日も薄明るくなった日の出前にホテルを出て、街の西に向かって走りました。小鳥の鳴き声のシャワーを浴びながらのランニングは最高でした。テクノロジーカレッジの前庭では一際種類が増した鳴き声に思わず足を止めました。街はずれには城壁と見張り塔も残っていました。

ウォータフォード夜明け前

街を一周してホテルに戻る頃には明るくなります。写真の右奥にMarina HOTELが見えます。

右奥にmarina HOTEL

シャワーで汗を流し、ホテルのレストランでアイリッシュブレックファーストを時間をかけていただいた後は、いよいよ街歩きです。目まぐるしく変わる天気の中、レジナルドの塔、中世博物館、Christ Church Cathedral(ウエッジウッドの見事な天井に注目!)等、主な見所は街の中心部に凝縮されており、徒歩で簡単にまわることができました。

クライストチャーチ大聖堂

早々に観光を終えて、ホテル近くのBarでギネスビールを楽しみました。

その後もメインストリートを散歩。通りに向く庭の柵、路地に建つアパートメントのガラス製の軒、自転車レーンが整備されている主要道、モニュメントが美しい川岸の公園。日常の何気ないデザインに目を奪われたのでした。

アイアンの柵

路地のデザイン

自転車レーンのある道路

憩いスペースのモニュメント

翌日は、北へ向かい始めての北アイルランド入りです。

■ アイルランドの思い出_2016春 2日目:OK SPORTSの店主John O’Keefe氏のもとを訪れる by M2018/05/16

2016年4月6日(水)

この旅の一番の目的は、アイルランドの南東部に位置するCarrick-on-Suirにあるスポーツショップ”OK SPORTS”の店主John O’Keefe氏のもとを訪れることでした。

Carrick-on-Suirは、夫が溺愛するサイクリスト ショーン・ケリーの出身地です。 1度目の旅では鉄道でCarrick-on-Suirに到着しました。慌てて飛び降りたにもかかわらず、列車が5分以上停車していたことを以前記事にしました。

その理由が今回の旅行で判明しました。

移動の足VW

2度目の旅行から車をダブリン空港で借りて移動しています。この日、ダブリン空港でフォルクスワーゲンの小型車を借りてCarrick-on-Suirへの移動中、街の入り口の踏切で遮断機が降りたのです。それも人力で!列車の通過前に人(たった一人の駅員さん?)が踏切に出て来て遮断機を降ろし、列車が通り過ぎた後再び駅員さんが踏切にやって来て遮断機をあげたのです。乗降客が駅を去るまで、私達は車の中で待たされたということです。

人力の遮断機

さて、最初の旅行1995年でショーン・ケリーが誕生した街を訪れて、私たちが最初にしたことは、宿を見つけること。幸い駅から歩いて数分のところにB&Bを見つけて宿を確保。その後、街の自転車ショップを探しました。東西に長い街、といっても300mあったかなかったか。その東端にそれらしき店を発見しました。それが、OK SPORTSでした。店頭に自転車が並べられており一目瞭然。恐る恐る店に入った後の、思いも寄らぬ出来事は以前の記事をご覧ください。

また、2005年の2回目の旅行で再びお店を訪れた時のことは以下の記事にあります。

今回の目的は、店主のJohn O’Keefe氏にお会いすることでした。真っ先にお店に向かったのですが、昼食休憩中のようでお店は閉まっており、しばし街の散策の後にお店を訪れることにしました。車を街の中心にあった駐車場に停めてから歩き出しました。この日のCarrick-on-Suirは冬に逆戻りしたような寒さで大粒の霰が降ったり止んだりの中での散策となりました。

2回目の訪問で整備されていたショーン・ケリー・スクエアを再び訪れると落書きが!強風と霰の中を渡ったSuir川。ニューブリッジからオールドブリッジを見ることができました。
ショーン・ケリー・スクエア

Suir川

OK SPORTSを目前に霰が強まり駆け込んだ教会。暖房が寒さから救ってくれました。

教会

先の2回の旅行で滞在したB&B「FATIMA HOUS」は営業をやめられたようで看板は外されていました。

元B&B FATIMA HOUSE

午後2時、再びお店の前へ行くと店名が「O’K CYCLE & SPORTS」に変わっており、珍しい今風の三輪車が店頭に飾られていました。店内にはO’Keefe氏の姿があるではありませんか!

OK SPORTS

二人で店に入り10年ぶりの再会をO’Keefe氏も大変喜んでくださり、近くのレストラン「O’Ceallachain’s」で食事をおごってくださいました。デザートまでいただいて最後に記念写真を!隣の席の母娘はご近所さんのようで、お店のスタッフともO’Keefe氏とも顔見知りの。旦那様(お父様)が中国人とのことで、親近感を持ってくださったようでした。

記念撮影

お腹が一杯になった後は、この日の宿泊地、ウオーターフォードへ向かいました。Marina HOTELはSuir川の河口付近にあり、部屋の窓から川の流れを望めました。

ウオータフォードMarina HOTEL

旅の残り8日間はおまけです。70歳のO’Keefe氏にお会いでき、この旅の8割を終えたようなものでした。

■ アール・ヌーヴォーというデザイン by T2018/05/11

アール・ヌーヴォーデザイン
写真は、僕の自転車のラグ(パイプとパイプをつなぐ部分。紺色の部分)の写真です。ナベックス社のコンチネンタルカットラグ(フランス製)ですが、僕には19世紀ベル・エポック時代のアール・ヌーヴォー・デザインを彷彿させます。アール・ヌーヴォーとは「新しい芸術」という意味です。

産業革命を経て日常品の大量生産が進行し、人間性の疎外が危惧される時代の中で起こった暮らしの装飾、日常のアート化、職人仕事の再評価。それがアール・ヌーヴォーでした。そんなアール・ヌーヴォー運動は、かつて一部の人間に独占され、フォルムの再生を許さなかった芸術界を解放し、アートを民主化することに貢献しました。

アール・ヌーヴォーの時代からおよそ100年経過しましたが、暮らしそのものをアート化する意味は、現代においても決して色褪せてはいません。今こそ我々一人一人がアートのパトロンになろうではありませんか!

■ この自転車おいくらですか? by T2018/04/26

おいくらですか?
あなたのその自転車の値段はいくら?と言う質問ほど難しい質問はない。

生まれて初めて買った競走用自転車(ロードバイク)は中古で3万円だった。それから少しずつ部品を交換して現在に至っている。現在では当初の自転車の部品は全て入れ替わってしまっている。フレームも当初のものではない。最も長く使用している部品はサンシン工業製の後輪ハブで、これは大学4年生の頃から使用しているものだ。このハブだって玉押しやベアリング、シャフトを交換しているので、正確に言えば後輪ハブのフランジ本体のみが約40年近く使用されていることになる。そのフランジ本体さえもオリジナル当初のものではない。

だから、あなたのその自転車はいくらですかと質問された場合、3万円というのも気が引けるし、だからといって今まで費やしたお金の総額を答えるのもおかしい気がする。そもそも総額は僕にも分からない。

僕の自転車に限らず、僕自身だって新陳代謝によって日々細胞が入れ替わり、当初の自分の身体ではなくなってしまっている。しかし自分というアイデンティティを見失うことなく50年以上も自己を同一視し続けている。そういう観点からすれば、僕の自転車は3万円から始まったと答えることにしようかな。この事実だけは真実である。と同時に、正直言って僕の自転車をお金という尺度で客観視したくないのが偽らざる本心である。