One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 里山暮らしはスローライフと言われるけれど by T2017/03/22

時々遅れる我が家のメイン時計
写真は我が家のメイン時計です。里山暮らしを開始した頃、新宿のコンランショップで買いました。時々時間が遅れます。信頼感の薄い時計ではありますがデザインがとても気に入っているので現在でもメイン時計の地位に居ます。

ところで話が変わりますが、スローライフという言葉があります。ゆっくりのんびりと暮らしましょうといったイメージがあるようです。

僕は20代後半に田舎暮らしを計画し始め、35歳で里山に移住し、現在51歳です。その経験から申しますと、スローライフのスローの意味は、ゆっくりにならざるを得ないという意味です。何故なら手間と時間をかけて丁寧に暮らすためには、必然的にゆっくりにならざるを得ないからです。ですから暮らしがゆっくり丁寧に進行するといった点では正しいと思いますが、のんびりという点では?です。むしろ1分1秒でもさらに欲しいと思うことが度々です。

特に起床から朝食までは分刻みで次はこれこれとルーティーンワークをこなしていきます。ブログ作成にしても明るくなったら屋外作業を予定しているので、夜明け前の暗い時間に書いたりします。でもそれが楽しいのです。分刻みのスケジュールをこなしている時は、時間の密度が濃く感じます。

ですから里山スローライフは実際僕にとってのんびりしたものではありません。

でも忙しいわけではありません。自律的に楽しいのであって他律的に忙しいのではありません。里山暮らしが他律的に忙しいものだったら里山暮らしの中止を検討するかもしれません。

僕は忙しいという言葉が大嫌いです。ドキュメンタリー映画「人生フルーツ」の主人公をされた故・津幡修一さんもおっしゃっていました。

忙という言葉は心を亡ぼす。

僕にとって忙しいという言葉は、自分はこれだけがんばっているんだぞ。偉いだろ。それを評価してほしい、といったメッセージが込められているような感じがするのです。自分から自分は偉いだろ!とは言いにくいので、代わりに自分から自分は忙しいと発するような気がするのです。

僕は記憶しています。大学4年生の7月以降、そのような意味での忙しいという言葉を使用することを止めました。その時僕がよく使っていたセリフがあります。

大学生ほど忙しいという言葉の似合わない人種はいない。

ただし面倒な雑事をやんわりと回避するために「その日はちょっと先約があって忙しいなあ」とごまかす事は時々あります。これは方便です。

もう数年したら僕も年金受給者になります。高齢者の定義は不明確ですが、僕がそのステージに入ったならば、動きも遅くならざるを得ず今以上に時間がかかる里山暮らしになるでしょう。だから今以上に1分1秒でも欲しい。でもそんなスローライフを自律的に楽しくやりながら、恐らくこういうセリフを使うことになるでしょう。

僕は老人である。老人ほど忙しいという言葉の似合わない人種はいない。

■ 野焼き後の里山ランニング by M2017/03/22

春の里山、野焼き後の風景
今朝、久しぶりにランニングをしました。

お正月、元旦に見つけたコースを一周です。家を出て坂を下り赤い水門のある橋を渡り大通りへ。大通りを右に曲がり緩い上り坂です。車の通りはほとんどなく快適に走れます。途中、右手に縄文時代の遺跡があり、その向こうに我が家が見えます。

石畑池の看板のところで右折すると左手に池が見えてきます。白鳥が去って3週がたち、今朝は黒く静かに水をたたえていました。道なりに進むと上り坂です。途中、左折し農道に入りました。

先週末に野焼きした後の風景が眼前に広がります。心なしか漂う香りもいつもとは違い草の焦げたようです。アスファルト敷きの道を進むとアップダウンを繰り返しながら市道に出ます。市道に出たところで右折し、あとは家までほぼ直線道路です。

家々の明かりが増え、夜明け間近。家を出た時は薄暗かったのですが、到着時にはかなり明るくなっています。ほぼ20分。久しぶりに走ったので体は少し重たかったのですが、走り終えると清々しい気持ちになれました。

それはそうと、前庭のユキヤナギが開花していました。冬の初めに狂い咲きしていたユキヤナギ、今日のユキヤナギは時期を間違えずに咲いてくれたようです。

前庭には満開のマンサク、8分咲きのマメザクラ、そして咲き始めのユキヤナギ。黄色、薄桃色、白色と茶色だった庭が少しずつカラフルになっていきます。