■ 椿を本郷仁さんの器に生けてみました! by M ― 2017/03/30

霜の降りる朝が続いていたのですが、今朝は久しぶりに暖かな朝となりました。1週間ぶりに早朝ランニングをしました。元日に見つけたコースを途中2周して今日は25分ほど走りました。富山マラソンのエントリー開始まであと10日となり体がようやくウズウズしてきたようです。
走り終えてから剪定ばさみを持って庭と菜園を歩きました。椿は見頃を迎え、ほとんどの木で花をつけています。今日は、菜園にある桃色の枝を2本切ってきました。蕾はさながら朝日に輝く雪を冠ったモンブランのようです。
白いガラス製の花器は本郷仁さん作です。本郷さんといえば鏡を使った大きな作品というイメージなのですが、ガラス製の可愛い作品も作られるのです。たくさんの突起がなんともいえません。リクエストした大中小の楕円形の器に加えて鶴首状のもの計4つを作ってくださいました。花を生けたり、そのままオブジェとしたりして楽しんでいます。
本郷仁さん、この春は展覧会を開催されるとのこと。もじゃもじゃの髭を携えられた気さくで温かいお人柄の本郷仁さん。その本郷さんが創られる鏡を用いた作品は、人の内面を映し出す装置のようです。楽しくもあり、怖くもあり、様々な感情が湧き上がる作品の数々にいつも魅了されます。
本郷さんについてはこちらもご覧ください。
http://www.ne.jp/asahi/ones/way/recommend.html#rec_hongo
走り終えてから剪定ばさみを持って庭と菜園を歩きました。椿は見頃を迎え、ほとんどの木で花をつけています。今日は、菜園にある桃色の枝を2本切ってきました。蕾はさながら朝日に輝く雪を冠ったモンブランのようです。
白いガラス製の花器は本郷仁さん作です。本郷さんといえば鏡を使った大きな作品というイメージなのですが、ガラス製の可愛い作品も作られるのです。たくさんの突起がなんともいえません。リクエストした大中小の楕円形の器に加えて鶴首状のもの計4つを作ってくださいました。花を生けたり、そのままオブジェとしたりして楽しんでいます。
本郷仁さん、この春は展覧会を開催されるとのこと。もじゃもじゃの髭を携えられた気さくで温かいお人柄の本郷仁さん。その本郷さんが創られる鏡を用いた作品は、人の内面を映し出す装置のようです。楽しくもあり、怖くもあり、様々な感情が湧き上がる作品の数々にいつも魅了されます。
本郷さんについてはこちらもご覧ください。
http://www.ne.jp/asahi/ones/way/recommend.html#rec_hongo
■ 継ぎの当たったシャツを着れますか? by M ― 2017/03/30

「膝に継ぎの当たったズボンを履けますか?」
ヘンリーDソローが知人にした質問だそうです。
ほとんどの人はそんなものを着たらまるで一生が台無しになってしまうよ、という態度を取ったそうです。挫いた足を引きずりながら町を歩いた方がよほどましとのこと。
さて、今日の昼食後、夫が私にお願いがあるというのです。そのお願いとは…
「作業着に継ぎを当てて欲しい」というものでした。生成色に黒の大きなチェックの入ったウールシャツで結婚当初にフリーマーケットで購入したものです。
その頃夫はほとんど服というものを持っていませんでした。大げさに聞こえるかもしれませんが本当です。洋服ダンスの3分の1を夫用に空けてあったのですが、いつまでたっても実家から服を持ってこないのです。業を煮やし私が夫の実家へ取りに行くと、夫の部屋にはTシャツとジャージが詰め込まれたゴミ袋が部屋の中央に一つあるだけでした。
思い起こせば結婚前の夫は、Tシャツとジャージ以外では、春夏用、秋冬用の街着それぞれ1着を着続けていたような気がします。
そういうわけで結婚当初はフリーマーケット等で街着をしばしば買いました。そのうちの1着が先のシャツなのです。秋から冬にかけて頻繁に着ていましたが、ものが良かったせいかまだ生地はへたってはいません。しかし、昨年の秋、裾に3cmほどの裂けが見つかったので作業着に降格したのです。さらに山の中ででも引っ掛けたのでしょう、最近になって肘にも5cmほどの裂けが増えていました。
私が怪訝な顔をしていると、最初に記した「森の生活ーウォールデンー」の記述が夫の口から出てきたのです。自称ソロービアンですので「継ぎの当たったシャツを着てはいけません」とは言えず、継当てをすることになりました。
そこで登場したのが、私の祖母の足踏みミシンです。父によると、1950年代に祖母(父の母)がどうしても欲しいと言い購入した代物とのこと。私が物心ついてからずっと結婚を機に家を出るまで、祖父母の部屋の外廊下に置いてありました。小学校高学年になってミシンを触れるようになり、ちょっとした小物や簡単な服を作ったこともありました。
結婚を機に実家を出るにあたり、祖母はすでに亡くなり誰も使っていなかったそのミシンを譲り受けました。それから26年間全く使いませんでしたが、仕事を辞めたら使おうと思っており、新居にも持って来てありました。
そして昨年4月、祖母が亡くなってから30年以上全く使われていなかったミシンが息を吹き返したのです。2008年大河ドラマ『篤姫』の撮影にミシンを提供されたミシン屋さんが富山市中心部にあり、その店主が家まで来てくださいました。油を注し、ベルトを取り替え、悪戦苦闘の末、使えるようになったのです。
息を吹き返してから1年ですが、ミシンを使ったのはこれまで3回だけ。古タオルで雑巾を縫ったのが1回、日本手ぬぐいの端を縫いほつれを防止したのが1回、古くなったコットン製のワンピースの丈をつめ部屋着にしたのが1回。
裂け目の裏に当て布を貼り、表からミシンをジグザグに細かくかけました。そう言えば、故津端修一さんも継ぎの当たったズボンを履いていらっしゃいました。これで夫が、ヘンリーDソローと津端修一さんに一歩近づけるとしたら、継当てシャツもありということでしょうか。
最後に…
今、分かったことなのですが、継ぎ当てをしたシャツは洗濯前だったそうです。汚れがなく、汗臭くなかったので気づきませんでした。
「えっ!洗濯してから補修するものだと思うよ!」と言っても後の祭りです。
ヘンリーDソローが知人にした質問だそうです。
ほとんどの人はそんなものを着たらまるで一生が台無しになってしまうよ、という態度を取ったそうです。挫いた足を引きずりながら町を歩いた方がよほどましとのこと。
さて、今日の昼食後、夫が私にお願いがあるというのです。そのお願いとは…
「作業着に継ぎを当てて欲しい」というものでした。生成色に黒の大きなチェックの入ったウールシャツで結婚当初にフリーマーケットで購入したものです。
その頃夫はほとんど服というものを持っていませんでした。大げさに聞こえるかもしれませんが本当です。洋服ダンスの3分の1を夫用に空けてあったのですが、いつまでたっても実家から服を持ってこないのです。業を煮やし私が夫の実家へ取りに行くと、夫の部屋にはTシャツとジャージが詰め込まれたゴミ袋が部屋の中央に一つあるだけでした。
思い起こせば結婚前の夫は、Tシャツとジャージ以外では、春夏用、秋冬用の街着それぞれ1着を着続けていたような気がします。
そういうわけで結婚当初はフリーマーケット等で街着をしばしば買いました。そのうちの1着が先のシャツなのです。秋から冬にかけて頻繁に着ていましたが、ものが良かったせいかまだ生地はへたってはいません。しかし、昨年の秋、裾に3cmほどの裂けが見つかったので作業着に降格したのです。さらに山の中ででも引っ掛けたのでしょう、最近になって肘にも5cmほどの裂けが増えていました。
私が怪訝な顔をしていると、最初に記した「森の生活ーウォールデンー」の記述が夫の口から出てきたのです。自称ソロービアンですので「継ぎの当たったシャツを着てはいけません」とは言えず、継当てをすることになりました。
そこで登場したのが、私の祖母の足踏みミシンです。父によると、1950年代に祖母(父の母)がどうしても欲しいと言い購入した代物とのこと。私が物心ついてからずっと結婚を機に家を出るまで、祖父母の部屋の外廊下に置いてありました。小学校高学年になってミシンを触れるようになり、ちょっとした小物や簡単な服を作ったこともありました。
結婚を機に実家を出るにあたり、祖母はすでに亡くなり誰も使っていなかったそのミシンを譲り受けました。それから26年間全く使いませんでしたが、仕事を辞めたら使おうと思っており、新居にも持って来てありました。
そして昨年4月、祖母が亡くなってから30年以上全く使われていなかったミシンが息を吹き返したのです。2008年大河ドラマ『篤姫』の撮影にミシンを提供されたミシン屋さんが富山市中心部にあり、その店主が家まで来てくださいました。油を注し、ベルトを取り替え、悪戦苦闘の末、使えるようになったのです。
息を吹き返してから1年ですが、ミシンを使ったのはこれまで3回だけ。古タオルで雑巾を縫ったのが1回、日本手ぬぐいの端を縫いほつれを防止したのが1回、古くなったコットン製のワンピースの丈をつめ部屋着にしたのが1回。
裂け目の裏に当て布を貼り、表からミシンをジグザグに細かくかけました。そう言えば、故津端修一さんも継ぎの当たったズボンを履いていらっしゃいました。これで夫が、ヘンリーDソローと津端修一さんに一歩近づけるとしたら、継当てシャツもありということでしょうか。
最後に…
今、分かったことなのですが、継ぎ当てをしたシャツは洗濯前だったそうです。汚れがなく、汗臭くなかったので気づきませんでした。
「えっ!洗濯してから補修するものだと思うよ!」と言っても後の祭りです。