One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ 今年の3月にはエスタミネへ by T2018/01/01

Salon d'Estaminet
エスタミネは私たち夫婦の大のお気に入りフレンチレストランです。私たちの住む射水市の隣、高岡市にあります。

エスタミネの料理は僕の人生経験上、第2位の美味しさです。ちなみに第1位は我が家の手料理です。食材、味付け、盛り付けなど料理のパフォーマンスはエスタミネがダントツ1位です。しかし食事の美味しさとは心が生み出すもの、とある人が語っていました。よって心の故郷One’s Wayが総合得点で1位です。

ともあれほとんど外食をしない私たちが外食をする稀有なレストラン、それがエスタミネです。2月の妻のハッピーレター表彰式の後、僕の東京マラソン2018も終了し、少し落ち着いた3月にエスタミネで食事を予定しています。お祝いとして。

前回エスタミネでランチをいただいた時、ランチにもかかわらず!終バスに乗り遅れ歩いて帰宅したことを思い出しました。ディナーじゃなくてランチで終バスに間に合わなかったのですよ!

それだけエスタミネは居心地の良い空間なのです。それと我が家の公共交通機関の不便さ。でも不便さは大いに楽しんでいます。それが里山暮らしの醍醐味です。

とはいうものの3月のエスタミネの際は、タクシーで帰宅する予定です。何せ妻の祝杯、お金に糸目はつけません。

※エスタミネさんについてはこちらをご覧ください。
http://www.ne.jp/asahi/ones/way/recommend.html#rec_estaminet

■ ラッキーな天気 by M2018/01/01

今日は未明から激しい雨が降り「元旦マラソン」を走るには少々ためらいがありました。しかし、午前8時、西の空が少し明るくなり雲の切れ間から青空も見え出しました。9時のスタート前には雨がやみ風もなく絶好のマラソン日和となりました。道に雪が無いのが何より。

射水市長によるスタートの号砲とともに走り出しました。雲行きが怪しかったためでしょうか、7分前倒しでのスタートとなりました。去年までは5kmの部門に出場していたのですが、今年は3kmのみとなったため、ほとんどのランナーはハイスピードで駆け出していきます。それにつられて私も普段より速いスピードで走ったので息切れの酷いこと。こんなにも心拍数をあげて走ったのはいつだったか思い出せないくらいです。

無事、夫も私も3kmを走りきりました。去年までは5kmでしたので30分弱は楽しめたのですが、今年は15分で終了。夫に至っては11分で走り切ったとのこと。

自分でタイムを記入する完走証とミカン3個とタオルを頂いて会場を後にしました。あまりにも呆気なく終わりましたが、気持ちよく完走できたのでこれもよしとしましょう。

元日ロードレース

元旦マラソン
写真は沿道で東京から帰省中の妹が撮ってくれました。毎年応援してくれていた母は7分早いスタートだったため、応援に駆けつけたときには既に走り去った後だったようです。


■ 松風の吹く静かな元日 by T2018/01/02

bue-due製作のネスト・テーブルで立礼
元日は先人の習慣に従い、キッチンのガスを一度も使わずに過ごしました。お年始の挨拶で車は使用しましたが、お金は初詣のお賽銭のみ。お年玉も昨年の内に図書カードを用意しておきました。台所の神様もお風呂の神様も元日はゆっくりしていただき、財布の方もバブル・インフレに搾取されないようしっかりお休みしていただきました。

薪ストーブを熱源にお雑煮をいただき、食後はやはり薪ストーブの熱源で沸かしたお湯で妻が抹茶を点ててくれました。お菓子は義妹夫婦に頂いた東京小金井の青木屋『武蔵野日誌』。背景に庭の雑木林、鉄釜の中を吹く松風、薪のはぜる音。家に居ながらにして立礼の野点を味わいました。

写真の抹茶しつらえは、bue-due製作のネスト・テーブル。入れ子式で中心にあるメインの箱台に収まります。一瞬にしてリビングの一画がお茶室に早変わりしました

■ お正月の過ごし方 by M2018/01/02

夫が記事したように、bue-dueのネストテーブルを立礼棚に見立ててお茶の設えをしました。これは2014年秋のOne’s Way- それぞれのあたりまえ -イベントで試したものです。

この時は、エスタミネさんの協力を始めて得たイベントでした。また、この時から会費として500円をいただくことにしたのです。

エスタミネさんには5種類のケーキを用意してただきました。お菓子を載せたプレートはbue-dueさん製作です。

エスタミネさんのケーキ

エスタミネさんのケーキ

去年bue-dueさんが家具製作をしばらくお休みするに当たり、ネストテーブルが我が家にやってきました。One’s Wayのイベント時には什器として大活躍してくれたテーブルですから思い入れも一入です。

湯を沸かす釜が奏でる松風。水を指したり、湯を組んだりするたびに音が変化し、別世界に引き込まれるような感じがします。

お正月中は朝はコーヒー、昼はお抹茶を楽しみたいと思います。

■ 一年の計は元旦に有り by T2018/01/03

今年の僕の目標が決定しました。それは

10月下旬に開催される富山マラソン2018にて、3時間25分を切ること

何故3時間25分なのか?それは市民マラソンの最高峰であるボストンマラソンの出場資格に繋がるからです。ボストンマラソンは第1回大会が1893年。世界で最も古いマラソン大会です。ちなみに近代オリンピックの第1回大会(アテネ)が1894年なので、オリンピックよりも歴史が古い。そして何より出場資格がとても厳しい。年齢によって自分の過去一年内記録が条件を満たしていなければエントリーできません。よって東京マラソンのように抽選によって選ばれるのではなく、実力によって選ばれるのです。

僕の現在の年齢で僕が2020年4月のボストンマラソンに申し込むならば、今年の9月から来年の8月までに開催される陸上競技連盟公認のマラソン大会で3時間25分を切ることが最低条件なのです。

去年の僕の富山マラソン記録が3時間36分。あと11分短縮しなければなりません。でも可能性がないわけではありません。今から8年前の東京マラソン2010では3時間15分48秒。その時よりちょっと遅いくらいのペースで走れば良いのです。現在の僕にしてみたら目標タイムとしては最適なのではないでしょうか。

2020年は東京オリンピックの年。皆が東京を目指している時に、僕はボストンを目指します。久々に燃えてきました。早く燃え尽きないよう、マラソンを走るようにペースをキープして目標達成を目指します。そして富山から世界を目指します。

これよりボストン市内に入ります
写真は2004年コンコード・ボストン旅行の際に撮影したもの。ボストン市内のホテルのバルコニーからの眺めです。


■ 静かな三が日 by M2018/01/03

降ったり晴れたり
お正月の三が日、今年も昨年に引き続き静かに過ごすことができました。

元日は、いつも通りに起きてお雑煮を食べてから、町内の氏神様へ初詣。その足で「元旦マラソン」に出場。帰宅後は映画「タイタニック」をBS放送で観た後、私の実家で夕食をいただきました。近年は着物で出かけるようにしています。父と叔父で私の衣装予想をしていたところに到着!予想が的中したようです。

二日はいつもより少し遅く起きてお雑煮を食べました。10時のお茶の時刻をめがけて私の両親が来訪。風炉に釜をかけ、松風を聴きながら薄茶を一服し、しばし歓談。5月に予定している旅行話に花が咲きました。午後からは夫の実家へ。豪勢なおせち料理に舌鼓を打ちました。

今日はいつも通りに起きて朝はお雑煮を食べました。午前中はアイロンがけなどちょっぴりたまっていた家事の片付けetc. 午後から夫は仕事へ。雪が降ったり晴れたりの天候に気分も下がったり上がったり。三日間で一番寒い日となり、ストーブを焚き続けています。

写真は午前10時ごろ、晴れ間の庭です。うっすらと積もった雪に反射する日差しが眩しくサングラスが欲しいくらいでした。

■ 静かな三が日の続き by T2018/01/04

妻の記事の続きです。我が家のある金山里山ではうっすら雪も降り、普段より車も少なく、本当に静かにゆっくり時を刻むかのようでしたが、街に出てみるとビックリ。

正確に言えば、街中ではなく郊外に出かけてみると、そこは車が列をつなぎ賑やかでした。近くには大きなショッピングモールやファミリーレストランがあって、駐車場も普段より混んでいるようでした。

渋滞に巻き込まれないよう街の中心部へ迂回すると、そこはスイスイ車が走る。つまり人々は街の中心ではなく街の周辺部に集中しているということです。

そういえばこの国の人々はよってかかって「ゆとり(教育)」を否定してきました。ゆとりある暮らしを求めることと、実際にゆとりある暮らしを満喫することは、全く異なることのようです。本当のところは、人々はゆとりがあるにも関わらずゆとりを持て余しているのかもしれません。ショッピングモール周辺の車渋滞を見ていてふと思いました。

里山の風景

里山の風景

写真は今朝もうっすら積もった雪景色。ゆとりを持て余す人間とは無関係に、里山の時計はゆっくり進みます。


■ 映画「真白の恋」ロケ地巡り報告 by M2018/01/04

昨年12月24日(日)の午後、坂本監督の来訪をきっかけに映画「真白の恋」のロケ地を巡ってきました。以前記事にもしましたが、射水市の南の端から北の端へ、車で30分足らず。しかし、里山の風景と土の香りの我が家から、潮の香りと海辺の街の佇まいへと小旅行気分でした。

「川の駅新湊」の駐車場に車を止め、カメラを忘れたことに気づき、「写ルンです」を探しました。川の駅のスタッフさんに尋ねると100mほど先の写真屋さんに売っているとのこと。

アミヤ写真館

教えてもらった写真屋さんは映画の舞台にもなった「アミヤ写真館」でした。早速、「写ルンです」を購入してお店を撮影。アミヤ写真館の店頭には映画に出ていた古いカメラが置かれ、撮影時の写真も飾られていました。撮影時のエピソードは昨年末に記事にした通りです。店番をしていらっしゃった奥様から映画のロケ地巡りのパンフレットをもらって次の目的地へ。

シブヤサイクル

「アミヤ写真館」から数十mほどのところにある「しぶやサイクル」へ行きました。主人公の真白のお父さんが営んでいる街の自転車屋さんです。店主の渋谷さんと夫との自転車話が弾んでいました。

そして、「川の駅新湊」に戻り「写ルンです」を買えたことを報告し、映画「真白の恋」のロケ地巡りにきたとお伝えしました。スタッフさんによると、映画の評判がとてもよく、県外から多くの方がロケ地巡りにいらっしゃっており、特にコアな映画ファンが多いとのことでした。

また、観光ボランティアのおじさんによると、結婚式のシーンに使われた「放生津八幡宮」を周って30分程とのことでしたので川沿いに歩くことにしました。12月下旬とは思えないほど暖かい日でしたので、私たち以外にも家族連れ、シニアのカップルの方などが内川沿いを歩いていらっしゃいました。


真白と油井の再会

写真は、真白とカメラマンの油井が再会した橋のたもとです。油井から誘われ、真白が「ちょっとだけ」と答えたセリフが耳から離れません。

放生津八幡宮

そして「放生津八幡宮」です。真白のお兄さんの結婚式のシーンに使われています。映画と同様、正面に雪よけの簡易的な通路が設けられています。私たちは27年前に夫の実家の氏神様の神社で結婚式を上げたことを思い出しました。

放生津八幡宮御手洗

さらに真白と油井さんが出会った御手洗です。

カフェuchikawa六角堂

最後に、映画には出てきませんが「カフェ uchikawa 六角堂」です。途中、野村屋餅店にも寄ったりすれば、半日ゆっくり日本のベニス「内川」を楽しめると思います。


※映画「真白の恋」の公式サイトはこちらです。

■ 木を植える人 by T2018/01/05

親戚の方からクルミをいただきました。山で拾ってきたクルミだということです。ポットに植えて芽を出させようと思います。ある程度大きく苗を育ててから地植えしようと思います。

クルミ

菜園の上部には70センチ程に成長したクルミが植わっています。3年程前に山道をサイクリングしていた時道端でクルミを拾い、それが成長しました。

栗の木

種から育ったといえば庭のクリ。15年程前、スーパーマーケットで買ったクリが美味しかったので一つ地面に植えておくと大きく成長しました。

椿

椿のこぼれ種から成長した2代目ツバキもあります。

フランス人作家ジャン・ジオノ著『木を植えた男』にはかないませんが、僕も石を積み木を植える人を目指します。

クルミはたくさんありますので、欲しい人は連絡ください。

■ 平成3年の抹茶茶碗、これは暗示だった?! by M2018/01/05

御題「森」
写真の抹茶茶碗は平成3年の歌会始の御題「森」にちなんで作られたもので、私の母からのプレゼントです。

平成3年の春に私たちは結婚しました。その記念にと普段は購入することがない抹茶茶碗を母はプレゼントしてくれました。使わずに何年もの間食器棚の奥にしまってありました。

それから27年、私たちは里山に家を構え、庭を作り、その庭が森になろうとしています。結婚当初は草むしりが嫌で、庭どころか、土の全く無い借家に住んでいました。もちろん「森」とは無縁の生活でした。

人間は変化するものだとつくづく思います。
300坪余りの土地を購入し、建坪20坪足らずの小さな家を建て、さらに菜園用の土地も手に入れ、里山暮らしを満喫するとは27年前にはこれっぽっちも思っていませんでした。

それがこうなったのは様々な出来事と選択の積み重ねの結果なのでしょう。そのきっかけとなったのが平成3年の冷夏だったような気がします。コメ不足となり翌年は輸入米が店頭に並びました。私たちはタイ米を好んで食べてはいましたが、生産する人間になりたいと初めて思いました。

そんなこんなで今に至っているわけですが、平成3年の歌会始の御題「森」は27年後の私たちの暮らしを暗示していたのではないかと今更ながら思っています。