■ 庭の椿が次々と by M ― 2017/03/02
我が家には椿が20本以上あります。多くは実家の母が育てていたものを譲り受けたものです。増やしすぎて管理が難しくなったとのことで、いただいてきました。品種はわかりませんが、同じものはなさそうです。
椿はバラに比べて地味ですが、この里山には椿の方が似合っているような気がします。匂いなく楚々と咲く姿に美意識を感じます。私たちは特に一重咲きのものが好きです。今朝は、赤寺とピンクの一重咲の椿が花をつけていました。

赤寺は、10年ほど前の2月に井口村(現在は南砺市)の椿祭りで買い求めたものです。苗木は30cmほどだったでしょうか。今はすくすくと育ち、私の身長を超えています。

ピンクの方は、昨年、実家の庭から移植したものです。実家の庭をブロック敷きにすることになったのをきっかけにもらいました。樹高は2mほどありましたが、切り詰めて移植しました。無事、根がついたようです。
実家からは椿以外にもたくさんの草木をもらいました。私たちはいただくものをリスト化しており、「シンドラーのリスト」と呼んでいます。かなり大げさですが、実家の庭で管理しきれず切り倒される前に救うという意味を込めています。
おかげで園芸店に行くことはほとんどなくなり、そのかわりに実家の庭を物色(?)するようになりました。今年は紫陽花を増やしたいと思っています。一昨年、紫陽花も20鉢ほどもらって移植したのですが、今年はオーソドックスな本紫陽花が目当てです。
■ チューリップTVのカメラマンを逆撮影する。 by T ― 2017/03/02
僕がお世話になっている金山里山の会の活動が、このたびTV番組に取り上げられることになりました。

今年の5月に富山県で開催される全国植樹祭に関連した番組だそうです。天皇皇后両陛下が来県され、魚津市で植樹行事が予定されていますが、私たち金山里山の会の作業は主に樹木の間伐でして、植樹の間逆のことをしています。こんな大逆罪的なことをしていてTV番組に取り上げられてよいのでしょうか?僕は自信をもって答えたいです。
いいのです!

里山での活動を通じて思うことは、現在人間が入らなくなった里山にとって必要なことは、植樹よりも樹木を伐ってあげることではないかということです。実は樹木を伐ってあげることが新たな樹木を育てることにつながるのです。
富山県の里山の主木はコナラです。コナラは樹齢20年から25年モノを根元で伐採すると、萌芽更新といってその切り株から新たに芽生え樹木に大きく成長するのです。切り株の根っこは元のままなので実生や苗木移植よりも成長が逞しいのです。
人間で言うと新たな土地に家を構えゼロから生活するのは何かと困難なことがありますが、親と同居しその土地と家を相続していけばゼロからではないというメリットがあります。レースで言えばフライングスタートみたいなもんです。
しかしコナラは樹齢が40年50年となってくると萌芽更新能力を失っていき、害虫に対し弱くなっていきます。これが見方によれば里山の荒廃とも捉えられるわけです。
とはいうものの木を伐るということは生命をいただくということでして、幹にチェンソーをあてる際は「伐らせて頂きます」と心の中で唱えるようにしています。大きな木を倒す時はビビって腰が引けたりしますが、「伐らせて頂きます」と唱えると何故か心が落ち着くのが不思議です。
というわけで自信を持って僕は間伐しているわけですが、それとは別にですが、一方でドングリからガンバって大きくなろうとしている苗木も僕はいとおしいです。親木の庇護を受けずに新天地で大きく生きようとしている生命を讃えたいのです。
そうか!天皇皇后両陛下は植樹を通じてそのことを国民に伝えようとなされているわけなのか!! 敬白。