One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ さらばもう一度、アイルランド回帰の旅[僕がCOMPETITION BIKE(競走用自転車)にこだわる理由]-前編その2:Aran Islands -2017/03/26

■ Aran Islands
第1回目のレンタルは、アラン島にて。劇作家J.M.シングの紀行エッセイで有名な、石と草ばかりの小さな島である。そもそもアイルランド本島はヨーロッパの西の果て。かのローマ帝国にさえ無視された辺境の地。そのさらに西にアラン島は位置する。

十字部を円環でつないだケルト十字架

十字部を円環でつないだ十字架。ハイクロスともいう[1995年、アラン島]


島の船着場近くで営業していたレンタルバイクショップにて、僕たち夫婦は青いラレーのMTBを借りた。代々アラン島の人々は岩盤を打ち砕いてジャガイモ畑を広げた。さらに、僅かしかない貴重な土を海から吹き寄せる偏西風によって吹き飛ばされないように、石垣を築いてきた。そして痩せた土を肥やすために、草地に牛や羊を放した。点在する白い家は石積みの漆喰塗りで、草葺屋根の家もあった。

そこに在る材料で作られているわけだ。生物は生まれながらにして規制された条件内で生きていかねばならない。自分自身に同情している暇は無いんだと叱咤されるような光景だった。

岩盤の隙間からスミレに似た可憐な花が顔を覗かせ、逞しさと同時に危うさをも含んでいた。僕たちは石敷きの道をゆっくり走った。ここではMTBという道具さえ複雑な精密機械に見えてくる。まだまだ無駄を省きシェイプアップが必要だ。


大西洋の風光明媚な高台に巨大ストーンサークル「ドン・エンガス」があった。僕たちはそこに上った。そこは背後に約100メートルの断崖絶壁をひかえた、正に背水の陣。

気の遠くなるくらいに積み重ねられた石の一つ一つと、海から吹き上げる潮風が相交えて口笛を吹いた。僕はそのブルーズに曲名をつけた。『That may be so, but…“だからどうした”』と。

17世紀、イギリスからやって来た残虐な侵略者クロムウェル-英国では清教徒革命の英雄とされている-が、アラン島同様に辺境の地、アイルランド西部のバレン高原を攻めた時、「人を吊るす木も無く、生き埋めにする土も無い」と言いやがったそうだ。

”That may be so, but still I have to. “(だからといっても、せねばならない時があるんだ)

口笛に乗せて、そんなブルーズが聴こえてきた。

アラン島から船で本島にある町ゴルウェー(Galway)に戻った。ゴルウェーのツーリスト・インフォメーションにあった絵葉書に、こんな意味のことが書かれてあった。

「人間の生きる目的は、一体何なの?」

「そうね、神様はどうして人間をこの世にお創りになったか知ってる?それはね、神様がおっしゃるには、ほんのジョークだったそうよ。」

そうか、そうなんだ。僕は僕に忠実に生きればいいんだと思った。



古代遺跡「ドン・エンガス」に上る
古代遺跡「ドン・エンガス」に上がる。背後は大西洋[1995年、アラン島]


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