■ 賢いものでなく、強いものでもなく、貫くものが勝つ。 by T ― 2017/03/15

昨日は本当に楽しかったです。建築家の天野一男氏との建築談義はいつも刺激的です。
ル・コルビュジエ、マリオ・ボッタ、フランク・ロイド・ライト・・・
みな挑戦的で哲学的で個性的。失敗を恐れず、失敗をどうリカバリーするかが真の手腕。
ふと僕は、18世紀のフランス人思想家ルネ・デカルトを思い出しました。
感覚的なことを否定し、ほんの少しでも疑いのあることはすべて破棄すべきといった方法的懐疑を唱えたデカルトとして有名です。「我惟う。故に我有り」のデカルトですが、同時に著書『方法序説』の中で彼がこう唱えていたことはあまり知られていません。
自分の行動について、できる限り確固として果断であり、どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、きわめて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うこと
谷川多佳子 訳
日常生活をこなしていく上では、懐疑心によって歩を止めることは決してあってはならないと言っているわけです。なぜなら生きるということは常に一刻の猶予も許されない選択の連続だからです。そして選択後も迷いが生じたとき「やっぱりこっちに変更しよう」と途中で方向転換をするよりも、初心を貫いた方が最終的に何らかの結果を残すという点で真理であると述べています。
建築とはそれに近いものではないかと僕は思います。やっぱり元に戻そうとか、ゼロからやり直そうといった転換が許されない代物だと思うからです。一度走り出したら行くしかない。その都度たとえ極めて蓋然性の高い選択をしたとしても、時には不測の失敗の連続というのが現実世界というものです。それよりも、その失敗をどうリカバリーしさらにプラスにしていくか。それが醍醐味なのではないでしょうか。
我が家を建てる際も、私たちの里山暮らしにしても、こうしておけば良かったのにといった後悔も度々です。でもそんな後悔もひっくるめてライフ イズ ビューティフルであると思うことができたならば、これこそ最強です。
ル・コルビュジエ、マリオ・ボッタ、フランク・ロイド・ライト・・・
みな挑戦的で哲学的で個性的。失敗を恐れず、失敗をどうリカバリーするかが真の手腕。
ふと僕は、18世紀のフランス人思想家ルネ・デカルトを思い出しました。
感覚的なことを否定し、ほんの少しでも疑いのあることはすべて破棄すべきといった方法的懐疑を唱えたデカルトとして有名です。「我惟う。故に我有り」のデカルトですが、同時に著書『方法序説』の中で彼がこう唱えていたことはあまり知られていません。
自分の行動について、できる限り確固として果断であり、どんなに疑わしい意見でも、一度それに決めた以上は、きわめて確実な意見であるときに劣らず、一貫して従うこと
谷川多佳子 訳
日常生活をこなしていく上では、懐疑心によって歩を止めることは決してあってはならないと言っているわけです。なぜなら生きるということは常に一刻の猶予も許されない選択の連続だからです。そして選択後も迷いが生じたとき「やっぱりこっちに変更しよう」と途中で方向転換をするよりも、初心を貫いた方が最終的に何らかの結果を残すという点で真理であると述べています。
建築とはそれに近いものではないかと僕は思います。やっぱり元に戻そうとか、ゼロからやり直そうといった転換が許されない代物だと思うからです。一度走り出したら行くしかない。その都度たとえ極めて蓋然性の高い選択をしたとしても、時には不測の失敗の連続というのが現実世界というものです。それよりも、その失敗をどうリカバリーしさらにプラスにしていくか。それが醍醐味なのではないでしょうか。
我が家を建てる際も、私たちの里山暮らしにしても、こうしておけば良かったのにといった後悔も度々です。でもそんな後悔もひっくるめてライフ イズ ビューティフルであると思うことができたならば、これこそ最強です。