One’s Way[ワンズウェイ]のブログでは、里山暮らしのあれこれを綴ります。ヘンリー・ デイヴィッド・ソロー の影響を受け、エシカルな暮らしを追求中。薪ストーブを暮らしの核とし、菜園、ガーデニング、サイクリング、ランニングなどを楽しんでします。

■ Xデーを想定の範囲内に by T2017/10/17

マリーゴルド、未だ咲き続けています
先日、近所の方が大病をされ、手術は成功したものの今までのように活発に行動できないと嘆いておられました。こういったことは人ごとではありません。どれだけ注意していたとしても病気や怪我によって突然現在のライフスタイルや生産性を維持できなくなることは誰にでもあり得ることです。

できることをする行動力と、できないことを諦める受容力と、できることとできないことを区別する知能力によって、来るべき時をシュミレーションし、Xデーをなるべく想定の範囲内にしようと夫婦で話し合いました。

また、病気や怪我でなくとも加齢によって行動力が鈍り現在の生活レベルを維持できないことも避けることができません。先日夫婦で3時間以上走った時、帰宅後はゆっくり行動せざるを得ませんでした。あたかも老後の暮らしをシュミレーションしているようだと話していました。

話は突然変わりますが、現在の日本の公的年金制度は自分の掛け金をプールし自分の年金を受給するシステムではありません。支払者と受給者が異なります。それは前世紀、日本の公的年金制度スタート時点において、掛け金を支払うことなく年金を受け取った第一世代があったということです。

また話は飛びますが、現在地球規模では人口爆発(人口増加)が問題になっているにも関わらず、日本においては少子高齢化が問題視されています。日本は人口密度が極めて高いにも関わらず、まだ人を増やせと叫ばれています。その理由を尋ねると多くの回答は、「社会保障制度、年金制度、社会福祉制度が維持できない」等の回答です。

つまり既存の大人が生きていくために、未存の子供を増やさねばならないという論理でしょうか。言い換えれば、子供の存在は大人の存在のための手段ということでしょうか?

僕は思うのですが、子供は子供自身が生きていくことを目的として生まれるべきではないでしょうか。人格は常に目的として扱われ、決して手段として扱ってはならないと述べたのはカントだったでしょうか。みなさんはどう思われますか?

私たち夫婦は二人暮らしです。親子間の共依存関係は回避することができる一方で、本当に頼れるのは自分しかいないという緊張感を持って将来の想定に努めたいと考えています。

と同時に緊張感を持って将来の想定に努め、選挙では大切な一票を投票したいと思っています。

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