■ 真面目に暖房を考える Part2 by T ― 2017/10/08

薪を作って薪をくべ、灰をかき出し掃除する。前回の記事で書きましたが、薪ストーブの一連の作業は僕にとって趣味であり、それが生きるということです。
しかし僕は先天的に手間ひまを惜しまないようなマメマメとした性格・気質では決してありません。後天的に手間をかけることの方が合理的であり有得的だと学習判断したからにすぎません。根本的に僕は損をするのが大嫌いで極めて利己的です。
手間をかける暮らしに軌道修正することになったあるキッカケがあります。
ずいぶん前になりますが、妻の実家でのことです。石川県の津幡町に住む義叔母と妻の両親、そして私たち夫婦がいました。
「北陸は雪が積もらなきゃ良いんだけど。あの雪かきが嫌だわよね」と義叔母
それに対し義父が
「それがいいんだ!」と短く一言。
そういえば義父は納屋のコンクリート土間を掃いたり、網戸を洗ったり、当然雪かきしたりと、日々淡々。したいしたくないという尺度ではなく、いわばすべきか否かといった尺度で行動を決めていた感がありました。感情が行動を決定するのではなく、自らの行動規範が行動を決定すると表現できるでしょうか。整理する、元に戻す、掃除する、結果として無駄が少なく合理的で、後日有得なのです。且つ気持ちが良い。パラドックスですが、感情に左右されない方が結果気持ちが良い(感情が良くなる)のです。
それからでしょうか。少し自分も変わったのが。
それがいいんだ、それが生きるということなんだ。
僕にとって生きる目的は生き続けること、生存し続けることです。生存し続けることとは体温を一定に保つこと。とりわけ寒い時期は暖を取り保温すること。よって薪を燃やし暖をとる。ただそれだけのことです。
しかし僕は先天的に手間ひまを惜しまないようなマメマメとした性格・気質では決してありません。後天的に手間をかけることの方が合理的であり有得的だと学習判断したからにすぎません。根本的に僕は損をするのが大嫌いで極めて利己的です。
手間をかける暮らしに軌道修正することになったあるキッカケがあります。
ずいぶん前になりますが、妻の実家でのことです。石川県の津幡町に住む義叔母と妻の両親、そして私たち夫婦がいました。
「北陸は雪が積もらなきゃ良いんだけど。あの雪かきが嫌だわよね」と義叔母
それに対し義父が
「それがいいんだ!」と短く一言。
そういえば義父は納屋のコンクリート土間を掃いたり、網戸を洗ったり、当然雪かきしたりと、日々淡々。したいしたくないという尺度ではなく、いわばすべきか否かといった尺度で行動を決めていた感がありました。感情が行動を決定するのではなく、自らの行動規範が行動を決定すると表現できるでしょうか。整理する、元に戻す、掃除する、結果として無駄が少なく合理的で、後日有得なのです。且つ気持ちが良い。パラドックスですが、感情に左右されない方が結果気持ちが良い(感情が良くなる)のです。
それからでしょうか。少し自分も変わったのが。
それがいいんだ、それが生きるということなんだ。
僕にとって生きる目的は生き続けること、生存し続けることです。生存し続けることとは体温を一定に保つこと。とりわけ寒い時期は暖を取り保温すること。よって薪を燃やし暖をとる。ただそれだけのことです。
■ フルマラソン3週間前、最後のLSDトレーニング by M ― 2017/10/08

10月29日(日)の富山マラソンまで3週間となりました。先週のLSD(Long Slow Distance)トレーニングは、最後の1週で失速したため当初の予定よりも距離を縮めました。
そのリベンジではありませんが、今日は最後のLSDトレーニングを先週と同じコースで行いました。天気は曇り、今にも雨粒が落ちそうなくらいに湿度が高い中での練習となりました。終始ペースが上がらずいつもの1割り増しほど時間がかかってしまいました。何とか予定のコースを走り終えて3時間45分でした。
当日は4時間30分を目標に走ります。5年ほど前まではサブ4を目指していたのですが、この練習量では無理ですね。欲張らず、ほどほどに4時間30分以内でゴールできればと思っています。
2週間ほど前に週3回走ったところ、おそらく疲労のため蕁麻疹がで大変でした。本番までの3週間は、ひどく疲れがが残らない程度の練習に抑えたいと思います。
写真は、LSDトレーニングの後に作ったイチジクのジャムです。義母がイチジク好きと結婚後26年半も経ってから知りました。今日の午後、ウチにいらした折におすそ分けし、その残りで作りました。
そのリベンジではありませんが、今日は最後のLSDトレーニングを先週と同じコースで行いました。天気は曇り、今にも雨粒が落ちそうなくらいに湿度が高い中での練習となりました。終始ペースが上がらずいつもの1割り増しほど時間がかかってしまいました。何とか予定のコースを走り終えて3時間45分でした。
当日は4時間30分を目標に走ります。5年ほど前まではサブ4を目指していたのですが、この練習量では無理ですね。欲張らず、ほどほどに4時間30分以内でゴールできればと思っています。
2週間ほど前に週3回走ったところ、おそらく疲労のため蕁麻疹がで大変でした。本番までの3週間は、ひどく疲れがが残らない程度の練習に抑えたいと思います。
写真は、LSDトレーニングの後に作ったイチジクのジャムです。義母がイチジク好きと結婚後26年半も経ってから知りました。今日の午後、ウチにいらした折におすそ分けし、その残りで作りました。
■ マラソントレーニングは筋トレ by T ― 2017/10/08
先に、妻が富山マラソンに向けての今朝のトレーニングについて記事にしていました。それに付け加えます。
マラソンとは42.195㎞を走るスポーツです。誰でも走り抜くことができると無責任なことは言えません。走り抜くことができる人とできない人が確実に存在します。まずは42.195㎞を歩き抜くことができない人は100パーセント走り抜くことはできません。
しかし見方を変えれば、42.195㎞を歩き抜くことができる人は、マラソンを完走する可能性がかなりあるとも言えます。つまりマラソンを完走できるか否かの境界は、思っているよりも低いのかもしれません。
僕は初めて1992年に福知山マラソンを3時間50分で完走した時に思ったことは、僕のこのレベルのマラソンの場合、心肺機能の問題ではなく筋力の問題だということでした。息が上がるのではなく筋肉が悲鳴を上げているのでした。
3時間を切るいわばサブスリーレベルではなく、4時間以上が目標のランナーの場合、ゆっくりのペースで良いので自分の目標の時間を走り続けるトレーニング、いわばLSD(Long Slow Distance)が効果的だと僕は思います。筋肉にこれだけの時間を走り続けるんだということを学習及び覚悟させるのです。筋肉も最初はビックリするかもしれませんが、徐々に学習し納得してくれます。
早い遅いではなく、自分自身が自分自身の筋肉を管理統率しきれた走りができた時、そのマラソン大会は自分にとって成功したと言えるでしょう。筋肉は基本快楽主義者なので、頻繁に休もうとしたり苦情を訴えたりしてきます。しかし最後のゴールまで筋肉と会話し交渉し、時には励ましながら騙し騙し走り抜くのです。42.195㎞はスリリングの連続です。決して単調な時間と距離ではないと断言します。
僕はこう確信しています。
マラソンとは身体を鍛えるスポーツというよりは自己管理能力を鍛えるスポーツであると。
マラソンとは42.195㎞を走るスポーツです。誰でも走り抜くことができると無責任なことは言えません。走り抜くことができる人とできない人が確実に存在します。まずは42.195㎞を歩き抜くことができない人は100パーセント走り抜くことはできません。
しかし見方を変えれば、42.195㎞を歩き抜くことができる人は、マラソンを完走する可能性がかなりあるとも言えます。つまりマラソンを完走できるか否かの境界は、思っているよりも低いのかもしれません。
僕は初めて1992年に福知山マラソンを3時間50分で完走した時に思ったことは、僕のこのレベルのマラソンの場合、心肺機能の問題ではなく筋力の問題だということでした。息が上がるのではなく筋肉が悲鳴を上げているのでした。
3時間を切るいわばサブスリーレベルではなく、4時間以上が目標のランナーの場合、ゆっくりのペースで良いので自分の目標の時間を走り続けるトレーニング、いわばLSD(Long Slow Distance)が効果的だと僕は思います。筋肉にこれだけの時間を走り続けるんだということを学習及び覚悟させるのです。筋肉も最初はビックリするかもしれませんが、徐々に学習し納得してくれます。
早い遅いではなく、自分自身が自分自身の筋肉を管理統率しきれた走りができた時、そのマラソン大会は自分にとって成功したと言えるでしょう。筋肉は基本快楽主義者なので、頻繁に休もうとしたり苦情を訴えたりしてきます。しかし最後のゴールまで筋肉と会話し交渉し、時には励ましながら騙し騙し走り抜くのです。42.195㎞はスリリングの連続です。決して単調な時間と距離ではないと断言します。
僕はこう確信しています。
マラソンとは身体を鍛えるスポーツというよりは自己管理能力を鍛えるスポーツであると。